資産運用 Lab.

ヘッジファンドの誕生 − アルフレッド・ジョーンズー

Aジョーンズ

 

ヘッジファンドの誕生

ヘッジファンドは、1949年にアルフレッド・ジョーンズという人間が発明したとされています。

「ヘッジファンドを発明した」と言う言い方に違和感を覚える方もいると思いますが、ジョーンズはそれまでの投資ファンドの考え方に、 以下の切り口を持ち込みました。

これらが、現代のヘッジファンドの基礎になっている、ということです。

(1) ショートポジション、信用取り引き

(2) 成果報酬

(3) 運用者出資

 

これらは、当時のウォール・ストリートのスタンダードからはかけ離れた斬新な手法でした。 ジョーンズの経歴は異端であり、元々のバックグラウンドが金融では無かった為にこのような新たな手法に着手することが出来たと考えられています。

 

以下順に見てみましょう。

 

 

(1) ショートポジション、信用取り引き

これらは、運用の手法自体に関するものです。

単純な買い持ち(ロング)オンリーであったそれまでの投資ファンドに対し、ジョーンズはショートポジションとレバレッジという技術を導入します。 ショートポジションというのは、つまり銘柄が「下がる」ことに掛けるということです。

 

ジョーンズは、メディアや金融機関が煽る、”いつまでも続くかのような強気相場” を全く信じませんでした。 いつかは大きく株価が値崩れする時が来る。 そして、どんなに強気な相場でも、「その中から弱気銘柄を探してショートポジションを取っておく」ということをしたわけです。

このポートフォリオは、強気の相場ではその運用成績を押し下げることになります。 強気の相場が続き、イケイケドンドンになっている相場ではジョーンズの行動は異端であり、冴えない成績だと思われるかもしれません。

しかし、ひとたび株式相場が崩壊し大きな値崩れが起きると、相場に大きくロングしていた投資家は大損を出し、そしてジョーンズのポートフォリオがその真価を発揮します。 買い持ちしていた銘柄の価格が下がっても、ショートを張っていた銘柄の暴落よる”収益”がそれを軽減、ないし凌駕してしまいます。

適正の銘柄を見極め、正しくロングとショートを張ればどんな相場にでも勝てる。これがジョーンズの考えでした。

つまりジョーンズの手法は、一般的な投資ファンドに比べ、極めて保守的でした。守備力が高いと言えます。

 

 

しかしこれではローリスク・ローリターンという風になりかねない。そこで、この理論により生まれた「完全に安全」と思われる領域に対してレバレッジを掛けるわけです。

この手法により安全な領域を確保し、あとは銀行等に借りた資金により大きくロング・ショートを張ることで、投資収益も最大化する。これがジョーンズのやり方でした。

 

ジョーンズの手法が、「ヘッジ」ファンド と呼ばれるようになったのはこのような理由からです。 ヘッジとは回避の意味であり、ジョーンズの手法はあくまで相場に潜むリスクを徹底的に回避しようという考えに基づいたいたわけです。

しかし、現在ヘッジファンドが「ハイリスク・ハイリターン」な運用というイメージになっている背景については、次章で説明したいと思います。

 

 

(2)成果報酬

当時のウォール・ストリートの主流は、固定報酬でした。

つまり、運用が勝とうが負けようが、一定の率のフィーを貰いますという考えで、 例えば100万円預け入れている人であれば、その年の運用が20%(=20万円の収益)だろうがマイナス30%(=30万円の損失) だろうが、一定の4%(=4万円)を頂戴します。という考え方です。

これに対し、ジョーンズは成果主義を持ち出します。 成果報酬として運用益の内から20%を頂戴しますという条件を投資家に出したわけです。

ジョーンズの考えは極めてシンプルであり、運用の実績が運用者の手取りに連動しないと適切なモチベーションが保たれないというものでした。

そして、運用を仕事にする以上、他の運用を打ち負かす為に必死で「優れた運用」を模索する、そのようにして健全な競争が行われるべきである。これが基本的な発想です。

彼の報酬体系は当時としては極めて斬新でした。

 

 

(3)運用者出資

ジョーンズはさらに健全な体制を模索し、運用者として自らの資金を大きくパートナーシップ(運用基金)へ投じます。

これで、ジョーンズの目線は完全に投資家と同じになったわけです。

「自分の運用が負けると、殆ど報酬を取らないのみならず、私も損を出します」これがジョーンズの行き着いた形です。 投資家は、ただのお客さんではなく、自らのパートナーであるべき。 運用者は、運用を仕事にしている以上、その成果に応じて対価を得るべき。

 

ジョーンズの考えは極めてシンプルであり、それ故力強いものでした。

 

 

 

 

ジョーンズはこの自らの哲学に基づき、それが「ヘッジファンド」とすら呼ばれていない時代からパートナーの資金と自らの資金を運用し続けました。

彼の手法が大きく世に知られたのは、彼が運用を開始してから実に17年も経ってからのことです。1966年に米メディアが彼をクローズして取り上げたことが切掛けでした。

彼の手法は、当時世界一収益を上げて投資信託を遥かに上回る運用成績を長期に渡って上げており、世界中に大きなインパクトを与えます。

投資家は世に蔓延る投資信託ではなく彼のような運用者に任せたいと考え、そして運用者として成績を上げて来た者は成果報酬というシステムに大きな魅力を感じました。

 

それから3年以内に数百のヘッジファンドが誕生することになります。 現代のヘッジファンドも、細部は違えど、この大きな流れの延長線上にあると言えます。

ヘッジファンドについて考える>

ヘッジファンド考察>


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ヘッジファンドの誕生 − アルフレッド・ジョーンズー

Aジョーンズ

 

ヘッジファンドの誕生

ヘッジファンドは、1949年にアルフレッド・ジョーンズという人間が発明したとされています。

「ヘッジファンドを発明した」と言う言い方に違和感を覚える方もいると思いますが、ジョーンズはそれまでの投資ファンドの考え方に、 以下の切り口を持ち込みました。

これらが、現代のヘッジファンドの基礎になっている、ということです。

(1) ショートポジション、信用取り引き

(2) 成果報酬

(3) 運用者出資

 

これらは、当時のウォール・ストリートのスタンダードからはかけ離れた斬新な手法でした。 ジョーンズの経歴は異端であり、元々のバックグラウンドが金融では無かった為にこのような新たな手法に着手することが出来たと考えられています。

 

以下順に見てみましょう。

 

 

(1) ショートポジション、信用取り引き

これらは、運用の手法自体に関するものです。

単純な買い持ち(ロング)オンリーであったそれまでの投資ファンドに対し、ジョーンズはショートポジションとレバレッジという技術を導入します。 ショートポジションというのは、つまり銘柄が「下がる」ことに掛けるということです。

 

ジョーンズは、メディアや金融機関が煽る、”いつまでも続くかのような強気相場” を全く信じませんでした。 いつかは大きく株価が値崩れする時が来る。 そして、どんなに強気な相場でも、「その中から弱気銘柄を探してショートポジションを取っておく」ということをしたわけです。

このポートフォリオは、強気の相場ではその運用成績を押し下げることになります。 強気の相場が続き、イケイケドンドンになっている相場ではジョーンズの行動は異端であり、冴えない成績だと思われるかもしれません。

しかし、ひとたび株式相場が崩壊し大きな値崩れが起きると、相場に大きくロングしていた投資家は大損を出し、そしてジョーンズのポートフォリオがその真価を発揮します。 買い持ちしていた銘柄の価格が下がっても、ショートを張っていた銘柄の暴落よる”収益”がそれを軽減、ないし凌駕してしまいます。

適正の銘柄を見極め、正しくロングとショートを張ればどんな相場にでも勝てる。これがジョーンズの考えでした。

つまりジョーンズの手法は、一般的な投資ファンドに比べ、極めて保守的でした。守備力が高いと言えます。

 

 

しかしこれではローリスク・ローリターンという風になりかねない。そこで、この理論により生まれた「完全に安全」と思われる領域に対してレバレッジを掛けるわけです。

この手法により安全な領域を確保し、あとは銀行等に借りた資金により大きくロング・ショートを張ることで、投資収益も最大化する。これがジョーンズのやり方でした。

 

ジョーンズの手法が、「ヘッジ」ファンド と呼ばれるようになったのはこのような理由からです。 ヘッジとは回避の意味であり、ジョーンズの手法はあくまで相場に潜むリスクを徹底的に回避しようという考えに基づいたいたわけです。

しかし、現在ヘッジファンドが「ハイリスク・ハイリターン」な運用というイメージになっている背景については、次章で説明したいと思います。

 

 

(2)成果報酬

当時のウォール・ストリートの主流は、固定報酬でした。

つまり、運用が勝とうが負けようが、一定の率のフィーを貰いますという考えで、 例えば100万円預け入れている人であれば、その年の運用が20%(=20万円の収益)だろうがマイナス30%(=30万円の損失) だろうが、一定の4%(=4万円)を頂戴します。という考え方です。

これに対し、ジョーンズは成果主義を持ち出します。 成果報酬として運用益の内から20%を頂戴しますという条件を投資家に出したわけです。

ジョーンズの考えは極めてシンプルであり、運用の実績が運用者の手取りに連動しないと適切なモチベーションが保たれないというものでした。

そして、運用を仕事にする以上、他の運用を打ち負かす為に必死で「優れた運用」を模索する、そのようにして健全な競争が行われるべきである。これが基本的な発想です。

彼の報酬体系は当時としては極めて斬新でした。

 

 

(3)運用者出資

ジョーンズはさらに健全な体制を模索し、運用者として自らの資金を大きくパートナーシップ(運用基金)へ投じます。

これで、ジョーンズの目線は完全に投資家と同じになったわけです。

「自分の運用が負けると、殆ど報酬を取らないのみならず、私も損を出します」これがジョーンズの行き着いた形です。 投資家は、ただのお客さんではなく、自らのパートナーであるべき。 運用者は、運用を仕事にしている以上、その成果に応じて対価を得るべき。

 

ジョーンズの考えは極めてシンプルであり、それ故力強いものでした。

 

 

 

 

ジョーンズはこの自らの哲学に基づき、それが「ヘッジファンド」とすら呼ばれていない時代からパートナーの資金と自らの資金を運用し続けました。

彼の手法が大きく世に知られたのは、彼が運用を開始してから実に17年も経ってからのことです。1966年に米メディアが彼をクローズして取り上げたことが切掛けでした。

彼の手法は、当時世界一収益を上げて投資信託を遥かに上回る運用成績を長期に渡って上げており、世界中に大きなインパクトを与えます。

投資家は世に蔓延る投資信託ではなく彼のような運用者に任せたいと考え、そして運用者として成績を上げて来た者は成果報酬というシステムに大きな魅力を感じました。

 

それから3年以内に数百のヘッジファンドが誕生することになります。 現代のヘッジファンドも、細部は違えど、この大きな流れの延長線上にあると言えます。