バブル崩壊で大儲け!3分で分かるソロモン・ブラザーズ
サマリー
- ・ソロモン・ブラザーズは「クオンツ」や「債券取引」で成長してきた
- ・現在ではシティグループとなっている
- ・日本のバブル崩壊で空前の利益をあげた
ソロモン・ブラザーズの沿革
1910年にソロモン・ブラザーズは設立されました。設立当初は債券取引などをメイン業務としており、投資銀行としての色合いは強くありませんでした。
1970年代に入り、「クオンツ」と呼ばれる数理学者や数理モデルを用いたトレード手法をいち早く導入することで投資銀行として大きく成長していきました。
1980年代も順調に成長を続けましたが、それを支えたのはあの有名なトレーダー、ジョン・メリウェザー率いる債券アービトラージ部門です。そのため、ソロモン・ブラザーズといえば債券取引と言われるようになりました。
1985年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に「ウォール街の帝王」と書き立てられるアメリカを代表する投資銀行となりました。
1991年に米国国債の不正入札が発覚するなどの不祥事をきっかけに、様々なスキャンダルに見舞われ「ウォール街の帝王」としての信用を失うことになりました。その後、ウォーレン・バフェットに経営再建をゆだねるに至りました。
1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収され、トラベラーズ傘下の投資銀行であるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併してソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney)となりました。さらに、その翌年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグループとなり、投資銀行部門はシティ・スミス・バーニー(Citi Smith Barney)となっています。
日本のバブル崩壊を利用!? 空前の利益をあげたソロモン・ブラザーズ
ソロモン・ブラザーズと日本の関わりで言えば、バブル崩壊の時に莫大な利益を上げたと言われていることでしょう。順を追って見ていきましょう。
1989年、ベルリンの壁が崩壊します。これは、社会主義より資本主義が優れていることの象徴ともいえる出来事でした。そして、株価の先高感が強まり、日経平均先物と現物との差が1,000円以上開くという事態に至ります。
先物価格と現物価格には理論的な関係がありますので、理論価格に対して割高、割安を判断し裁定取引を行う、という手法があります。現在では広く認知されている考え方ですが、当時の日本の証券会社は外資系証券会社と比較して知識不足でした。
1989年12月、ソロモン・ブラザーズは現物買いの先物売りを1,900億円分実施します。ソロモン・ブラザーズの現物買いでバブルはますます膨らみ、日経平均は38,916円を記録します。日本株バブルの崩壊を確信したソロモン・ブラザーズはバブル崩壊を促進するための秘策を実施します。
ソロモン・ブラザーズは日本株の暴落を先読みし、大量のプット・オプション(株を一定価格で売る権利。株価が下がると利益が生じる)を購入します。そして、国債を600億円分購入します。さらに、ソロモンは大証で購入した日経平均のプット・オプションの一部をもとに、アメリカの顧客に「日本株売りファンド」を販売します。これで準備は整いました。
1月16日、ソロモン・ブラザーズは大量の国債を、損を承知で投げ売りします。国債の価格は暴落して、金利が暴騰します。これをきっかけに株価は下落、先安観が支配的になります。国債の取引で損をしても、株の暴落によりそれ以上の収益をあげればよいのです。
2月26日、日経先物がストップ安になります。この機を逃さずソロモン・ブラザーズは大量の裁定取引を解消して巨額の利益を確定します。
下がりきった先物を買い戻し、大量の現物を売ったのです。ソロモンの大量の現物売りが、東京市場に衝撃をもたらし、日経平均は34,891円から33,322円へと1日で4.5%も下落します。リスクをものともせず勝負に出たソロモン・ブラザーズの見事な取引と言えるでしょう。
そして、ソロモン・ブラザーズと「日本株売りファンド」を買ったアメリカ人は、日本株の暴落で空前の利益をあげるのです。
まとめ
一時代を築いたソロモン・ブラザーズでさえも、ハイリスクハイリターンな投資手法であったため継続して利益を上げ続けることは難しく結局は買収されるに至っています。
長期的に利益を上げることを目的とするのであれば、慎重にリスクの取り方を検討することが重要になります。
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