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2017年01月15日

世界大恐慌を無傷で乗り越えた女 − ウォール街の魔女

 

サマリー

  • ・ウォール街はニューヨーク州マンハッタンに位置し、金融街として発展してきた。
  • ・ウォール街には魔女と呼ばれた20世紀一の大富豪がいた。
  • ・魔女はその卓越した先見性で世界大恐慌を無傷で乗り越えた。

 

 

ウォール街とは

charging bull

ウォール街はアメリカ、ニューヨーク州マンハッタンに位置する金融街のことです。元々は通りの名前ですが、ブロードウェイのトリニティ教会からイーストリバーまでの通りとその周辺を表すことも少なくありません。

名前の由来は、17世紀に入植したオランダ人が先住民や他国の入植者たちから身を守るために防護壁(ウォール)を築いたことだと言われています。今では、ニューヨーク連邦準備銀行、ニューヨーク証券取引所、世界各国の大手証券会社などが集中しており、世界金融の中心地と言われています。

時折、アメリカの証券市場や金融業界を指す言葉としても使われます。そんな世界経済を牽引してきたウォール街ですので話題になることも多く、「ウォール街」や続編の「ウォール・ストリート」など映画にもなっていますので気になる方は観てみると面白いかもしれません。

 

また、見所と言えばブロードウェイの南端に位置する小さな公園、ボウリング・グリーンに巨大な雄牛像があります。これは、「チャージング・ブル(charging bull)」と呼ばれ、高さ3.4 m・長さ4.9 mもあり、観光名所として人気を博しています。ブルは金融の世界では、相場の上昇を予想する、相場に対して強気な見方を表しています。

イタリア、シチリア島出身の芸術家、アルトゥーロ・ディ・モディカが1989年に無許可でニューヨーク証券取引所の前に設置したゲリラアートであったことから、一度は警察に押収されたこの像でしたが、人々の激しい抗議により現在の位置に設置される運びとなりました。

 

 

「世界一のケチ」ヘティ・グリーン

Hetty Green

ヘティ・グリーン(Hetty Green)という名前をどこかで聞いたことがあるでしょうか。彼女は20世紀、世界で最も資産を持った女性でした。見た目は真っ黒なドレスに身を包んだ、一見貧しい老婆でしたがその資産は一億ドルにも上ったと言われています。

ウォール街の証券マンからつけられたあだ名は「ウォール街の魔女」、また、彼女は度を越したケチとしても有名で、なんとあのギネスブックにも「世界一のケチ」として認定されています。

 

ヘティには多くの逸話が残されています。トレードマークである真っ黒なドレス、これは20年間も愛用したと言われ、冷える日にはなんとドレスの下に新聞紙を詰め込んで防寒していたそうです。洗濯も節約のために一着丸々洗うことはせず、部分的にしかしなかったと言われています。

食事においてもどケチで、一食当たり「豆一皿」と「パン」、健康のために野菜を食べるときは玉ねぎを一日かけてかじるという徹底ぶりだったようです。

 

私生活ではエドワード・グリーンという資産家と結婚し、二人の子供までもうけました。しかし、家庭生活においても相変わらずのどケチっぷりは変わらなかったようです。

ある時、子供が足をケガしたのですが、貧しい人用の無料診療所に連れていくと、身分が判明して治療費を請求されてしまいました。激怒した彼女は治療途中で息子を連れ帰りましたが、その後足のケガはどんどん悪化していき、ついには切断しなければいけない状況になってしまいました。

また、夫との関係も良好とは言えなかったようで、夫の浪費癖に我慢が出来ず、ついには彼を追い出してしまいます。別居後、彼女は夫の財産を取り上げ、最低限の生活費を送るのみでついには正式離婚に至ります。彼が人知れずなくなるとき全財産は10ドルにも満たなかったそうです。

 

 

ウォール街の魔女

そんなヘティは1835年アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、捕鯨業で財を成した資産家の両親のもとに育ちました。彼女が30歳の時、父親が亡くなりいきなり100万ドルもの遺産を相続することになります。彼女のビジネスに対するセンスは特筆すべきものがあったようで、遺産を元手に、南北戦争時のアメリカ国債や鉄道会社への投資で莫大な資産を築いていきます。

中でも、1907年世界大恐慌の直前に銀行に現れたヘティは突如、自分の預金100万ドルもの引き出しを要求します。銀行側も交渉したもののヘティの考えを覆すことはできず、結局100万ドルを引き出してしまいます。その結果、銀行は翌日倒産、ヘティは世界恐慌をも無傷で乗り越えることになりました。彼女はこの伝説から「ウォール街の魔女」と呼ばれるようになりました。

こうした生活の中でヘティは一億ドルにも上る資産を築き上げましたが、晩年は「財産を狙う悪人に殺される」といった強迫観念に捕らわれ、心の休まるときは少なかったようです。1916年、彼女はこの世をさり、81年の生涯に幕を閉じました。

 

 

まとめ

世界経済の中心地として発展してきたウォール街には様々な逸話があります。莫大な富を築いたもの、全てを失ったもの、金融の世界は生き馬の目を抜く世界です。そんな戦場で大事な資産を運用していくには、あなたを助けてくれる信頼できる魔女を探してみるのもいいかもしれません。
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片桐 峻

投資家、ファンドマネージャー。
日本にいる時は、時間を見つけてブログの読者さんとお茶しています。
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