資産運用 Lab.

ヘッジファンドが経済に与えるインパクト

1つのヘッジファンドの運用額は、5億円程度から500億円程度に至るまでピンキリです。

世界中のヘッジファンドの運用額の合計値は、2015年現在300兆円近くになると言われております。

 

ヘッジファンドというスキームにより、数百億円の規模の資金が一人の人間(ファンドマネージャー)の判断で瞬時に動きます。これは、他のプレイヤーにない極度に豪快な動きであり、この性質からヘッジファンドは経済に大きな影響を与えます。

 

 

ソロス

 

ポンド暴落

 

ヘッジファンドが経済に大きなインパクトを与えた実例は枚挙にいとまがありませんが、とりわけ有名なのは、1992年のポンド暴落でしょう。

これは、ジョージ・ソロス率いるヘッジファンドが「イングランド銀行を打ち負かした」逸話として現代に語り継がれています。

 

当時ヨーロッパでは、域内通貨の統合に向け、「事実上為替を固定する」政策(ERM)が取られていました。

現在ユーロに加盟していないイギリスですが、当時は非常にヨーロッパ諸国との関係が強く、この政策に加わっていました。

旧西ドイツ政府による旧東ドイツに対する投資が加熱していたこともあり、当時のヨーロッパでは金利が非常に高く推移していました。

高めの金利によりヨーロッパ域内の通過価値は高まり、ERM によって欧州の通過と連動していたポンドの価値も高く推移、そして、この状況を支える為、イングランド銀行は市場に介入しポンドの価値が下がらぬよう無理な買い支えをし続けました。

しかし、イギリスの経済収支は赤字を垂れ流しており、実体としては非常に弱い。明らかに、ポンドの価格と実際の価値は乖離している。ポンドは高すぎる。

ドイツは経済が強いので、ドイツ・マルクが上がっていくのは分かるが、イギリスのポンドもそれに連動して上がって行くのは理論上オカしい。

多くの投資家がこの実体に薄々気付いてはいましたが、この状況に対し大きく動いたのがジョージ・ソロスです。彼はポンドの暴落を確信し、ポンドを大量に空売りします。これが、ソロスによるイングランド銀行への挑戦です。

 

一晩にして大量に売られたポンドの情報を聞き、多くの投資家・銀行は判断を迫られます。ポンドの価格は、「イングランド銀行によって戻される」のか、「このまま下がる」のか。。。

 

 

結果は、ソロスの大勝利でした。

 

一日にして世界中で大量のポンドが売られ、イングランド銀行の必死の買い支え、そして2度に渡る公定歩合の引き上げも虚しく、ポンドは大暴落することになります。ポンドはERMからの脱退を余儀なくされ、そして変動相場制となりました。

政府による為替への介入は終わったのです。

 

ジョージ・ソロスはこの一件により、10-20億ドルの利益を上げたと言われております。

 

 

 

アジア通貨危機

 

1997年に起こった、アジア通貨危機もこれと構造は同じです。

 

当時のタイは固定相場制を採用しており、タイ・バーツの価値はドルに連動して決定されていました。(ドルペッグ制)

1995年以降、米国の政策によりドルが上がっていくと、それに連動してタイ・バーツも上がっていきましたが、タイの実体経済は決して強くありません。

そこでタイ・バーツは本来の価値に比べて高すぎると判断したヘッジファンドが大量のバーツを空売りし、バーツは一日にして暴落します。

 

ここでもヘッジファンドが大きな流れの先駆けとなり、一国の通貨を壊滅に追いやったのです。

 

 

 

ヘッジファンドの影響力

 

上記のような出来事は、ヘッジファンドが経済にインパクトを与えた事例の内氷山の一角でしかありません。

 

「巨額の資金が、一人の人間の判断により瞬時に動く」というヘッジファンドの性質により、経済に与えるインパクトは他のプレイヤーの比では無く、時に、国家の目論みを容易く覆してしまうこともあるわけです。

 

この為、世界中の金融関係者がヘッジファンドの動きを注意深く追いかけています。

ヘッジファンドについて考える>

ヘッジファンド考察>


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ヘッジファンドが経済に与えるインパクト

1つのヘッジファンドの運用額は、5億円程度から500億円程度に至るまでピンキリです。

世界中のヘッジファンドの運用額の合計値は、2015年現在300兆円近くになると言われております。

 

ヘッジファンドというスキームにより、数百億円の規模の資金が一人の人間(ファンドマネージャー)の判断で瞬時に動きます。これは、他のプレイヤーにない極度に豪快な動きであり、この性質からヘッジファンドは経済に大きな影響を与えます。

 

 

ソロス

 

ポンド暴落

 

ヘッジファンドが経済に大きなインパクトを与えた実例は枚挙にいとまがありませんが、とりわけ有名なのは、1992年のポンド暴落でしょう。

これは、ジョージ・ソロス率いるヘッジファンドが「イングランド銀行を打ち負かした」逸話として現代に語り継がれています。

 

当時ヨーロッパでは、域内通貨の統合に向け、「事実上為替を固定する」政策(ERM)が取られていました。

現在ユーロに加盟していないイギリスですが、当時は非常にヨーロッパ諸国との関係が強く、この政策に加わっていました。

旧西ドイツ政府による旧東ドイツに対する投資が加熱していたこともあり、当時のヨーロッパでは金利が非常に高く推移していました。

高めの金利によりヨーロッパ域内の通過価値は高まり、ERM によって欧州の通過と連動していたポンドの価値も高く推移、そして、この状況を支える為、イングランド銀行は市場に介入しポンドの価値が下がらぬよう無理な買い支えをし続けました。

しかし、イギリスの経済収支は赤字を垂れ流しており、実体としては非常に弱い。明らかに、ポンドの価格と実際の価値は乖離している。ポンドは高すぎる。

ドイツは経済が強いので、ドイツ・マルクが上がっていくのは分かるが、イギリスのポンドもそれに連動して上がって行くのは理論上オカしい。

多くの投資家がこの実体に薄々気付いてはいましたが、この状況に対し大きく動いたのがジョージ・ソロスです。彼はポンドの暴落を確信し、ポンドを大量に空売りします。これが、ソロスによるイングランド銀行への挑戦です。

 

一晩にして大量に売られたポンドの情報を聞き、多くの投資家・銀行は判断を迫られます。ポンドの価格は、「イングランド銀行によって戻される」のか、「このまま下がる」のか。。。

 

 

結果は、ソロスの大勝利でした。

 

一日にして世界中で大量のポンドが売られ、イングランド銀行の必死の買い支え、そして2度に渡る公定歩合の引き上げも虚しく、ポンドは大暴落することになります。ポンドはERMからの脱退を余儀なくされ、そして変動相場制となりました。

政府による為替への介入は終わったのです。

 

ジョージ・ソロスはこの一件により、10-20億ドルの利益を上げたと言われております。

 

 

 

アジア通貨危機

 

1997年に起こった、アジア通貨危機もこれと構造は同じです。

 

当時のタイは固定相場制を採用しており、タイ・バーツの価値はドルに連動して決定されていました。(ドルペッグ制)

1995年以降、米国の政策によりドルが上がっていくと、それに連動してタイ・バーツも上がっていきましたが、タイの実体経済は決して強くありません。

そこでタイ・バーツは本来の価値に比べて高すぎると判断したヘッジファンドが大量のバーツを空売りし、バーツは一日にして暴落します。

 

ここでもヘッジファンドが大きな流れの先駆けとなり、一国の通貨を壊滅に追いやったのです。

 

 

 

ヘッジファンドの影響力

 

上記のような出来事は、ヘッジファンドが経済にインパクトを与えた事例の内氷山の一角でしかありません。

 

「巨額の資金が、一人の人間の判断により瞬時に動く」というヘッジファンドの性質により、経済に与えるインパクトは他のプレイヤーの比では無く、時に、国家の目論みを容易く覆してしまうこともあるわけです。

 

この為、世界中の金融関係者がヘッジファンドの動きを注意深く追いかけています。