資産運用 Lab.

第十章 ノアの方舟から洪水を観る

預言者たちは、ついにその大洪水を観る。栄華をほこったウォール街が沈没していく。が、預言者たちの敬われざるはその故郷のみ。バーリは静かに退場していく

 

 

要約

2007年の終わりには、サブプライム・モーゲージが下がる方に賭けたフロントポイントの賭けは、すでに目をみはるほどの額になっており、アイズマンたちはファンドの規模を2倍、つまり、7億ドル強から15億ドルに拡大した。

“偉大なる宝探し”の収穫は、サブプライム・ローンの泥沼にはまり込んだ企業の長大なリストだった。3人は2008年3月14日までに、破滅へ向かうほぼ全ての金融業者の株を空売りし終えていた。

 

混乱の中で

モーゼズは同業の金融マンたちに関して、多くの小さな点に気づいた。ある意味で、それがモーゼズの仕事だった。小さな点に目をとめること。

アイズマンは全体図を見る役で、ダニエルは分析する役だ。筆頭トレーダーであるモーゼズは、チームを代表して、目と耳を市場に向けた。報道されることも書き残されることもない種類の情報の入手先は、うわさ、ブローカーの態度、画面に映し出されるパターンなどだった。モーゼズの職務は、細部に気づくことと、素早く数字を見て取ること、そして騙されるのを防ぐことだった。

Eメールの受信箱には、当月分のメッセージが33,000通。外部の人間がもし、金融市場に関するこういう味気ない子細を目にしても、途方に暮れるだけだろうが、モーゼズにとっては全て意味のあるものだった。モーゼズは詳細図に目を向けるタイプだった。

 

とはいえ、2008年9月18日の木曜日、全体図が激しく揺らぎ始めたせいで、モーゼズの目にも、詳細図が意味不明のものになりかけているように見えた。月曜日にはリーマン・ブラザーズが破産を申請し、また、サブプライム債に裏付けされたCDO関連の損失を550億2,000万ドルも出したメリル・リンチがバンク・オブ・アメリカに買収されたことを発表していた。

アメリカ株式市場は、世界貿易センター爆破後の初の取引日以来、最大幅の下落を記録した。

「それまで目にしたこともないような大混乱が巻き起こっていましたね」とモーゼズ。

 

フロントポイントは、まさにその瞬間にうってつけのポジションを取っていた。最後のCDSをすでに2ヶ月前の7月前半に、グレッグ・リップマンに売り戻してあったからだ。これでフロントポイントは株式市場専門の投資家集団に戻ったことになる。

 

その時点で、フロントポイントは、許される限界近くまでショートしていて、その全てが、まさに、破綻騒ぎの先陣を切った投資銀行数行の株が下げる方に賭けたものだった。

 

 

バーリの退場

マイケル・バーリは、かなり早い時期から、自分の投資ポートフォリオの方向性を、はっきりと金融システムの崩壊に賭ける方へ転じるのがどれほど憂鬱なことか気がついていた。

 

顧客たちは、バーリに大金を稼いでもらったというのに、どうやら、過去3年以上にわたって“無謀”な賭けに付き合わされてきた精神的な負担が償われていないと感じているらしかった。

2008年6月30日には、2000年11月1 日の創設時からサイオン・キャピタルに資金を預託してきた投資家たち全員が、手数料と経費の差引後に489.34%の利益を受けとった(ファンドの総利益は726%)。

2007年だけでも、バーリは顧客のために7億5,000万ドルを稼いでいて、それなのに、顧客からの預託金引き上げの要求が厳しくなったせいで目下管理している資金は6億ドルだけだった。

まるで、常に正論を述べてきたことで、墓穴を掘ってしまったかのように、バーリの存在は多くの人間に気まずい思いを味わわせていた。

 

11月初旬のある金曜日の午後、バーリは胸に痛みを覚えて、緊急治療室に入った。血圧が急上昇していた。1週間後の11月12日、顧客たちに宛てた最後の手紙を出した。

「私は自分自身の行動や、わがファンドの投資家、共同出資者、

果ては元の従業員によって、何度も瀬戸際に追い込まれました。わたしはいつでも、濃密すぎることの多かったこの事業との関係を、清算することも、継続することもできたのです。ところが今、わたしは一身上の問題にて、否応なく境界線の外に押し出され、そこで、胸がふさがるような認識を持つに至りました。このファンドを閉鎖するしかないという認識です」

そう締めくくったバーリは、いぶかる大勢の人々を残して、姿を消した。

 

 

怪物の胃袋

6週間前にアイズマンはこう言っていた。

「投資銀行業界はもうダメだ。なかにいる連中も、今ようやく、自分たちがどれくらいダメか、わかりかけてきた」

リーマン・ブラザーズは姿を消し、メリル・リンチは白旗を揚げ、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーはほんの1週間後に投資銀行であることをやめてしまう。

 

ダニエルはこう言う。

「あんまりこんな風には考えたくないんですが、我々が狙っていたのは、『この市場をショートすることで、流動性が生み出されて、市場が回り続ける』ということだと思うんです」

 

「怪物に餌をやるようなもんだな」と、アイズマン。

「われわれは怪物の胃袋がはちきれるまで餌をやり続けた」

 

怪物は破裂しつつあった。なのに、マンハッタンの路上には何か重大なことが 起こったという徴候がまったく見えなかった。それが、お金というものの厄介なところだ。聖パトリック大聖堂も前を行き来する人々が、たった今自分の身に降りかかった事態の真相を知るのは、いったいいつのことだろうか。

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


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第十章 ノアの方舟から洪水を観る

預言者たちは、ついにその大洪水を観る。栄華をほこったウォール街が沈没していく。が、預言者たちの敬われざるはその故郷のみ。バーリは静かに退場していく

 

 

要約

2007年の終わりには、サブプライム・モーゲージが下がる方に賭けたフロントポイントの賭けは、すでに目をみはるほどの額になっており、アイズマンたちはファンドの規模を2倍、つまり、7億ドル強から15億ドルに拡大した。

“偉大なる宝探し”の収穫は、サブプライム・ローンの泥沼にはまり込んだ企業の長大なリストだった。3人は2008年3月14日までに、破滅へ向かうほぼ全ての金融業者の株を空売りし終えていた。

 

混乱の中で

モーゼズは同業の金融マンたちに関して、多くの小さな点に気づいた。ある意味で、それがモーゼズの仕事だった。小さな点に目をとめること。

アイズマンは全体図を見る役で、ダニエルは分析する役だ。筆頭トレーダーであるモーゼズは、チームを代表して、目と耳を市場に向けた。報道されることも書き残されることもない種類の情報の入手先は、うわさ、ブローカーの態度、画面に映し出されるパターンなどだった。モーゼズの職務は、細部に気づくことと、素早く数字を見て取ること、そして騙されるのを防ぐことだった。

Eメールの受信箱には、当月分のメッセージが33,000通。外部の人間がもし、金融市場に関するこういう味気ない子細を目にしても、途方に暮れるだけだろうが、モーゼズにとっては全て意味のあるものだった。モーゼズは詳細図に目を向けるタイプだった。

 

とはいえ、2008年9月18日の木曜日、全体図が激しく揺らぎ始めたせいで、モーゼズの目にも、詳細図が意味不明のものになりかけているように見えた。月曜日にはリーマン・ブラザーズが破産を申請し、また、サブプライム債に裏付けされたCDO関連の損失を550億2,000万ドルも出したメリル・リンチがバンク・オブ・アメリカに買収されたことを発表していた。

アメリカ株式市場は、世界貿易センター爆破後の初の取引日以来、最大幅の下落を記録した。

「それまで目にしたこともないような大混乱が巻き起こっていましたね」とモーゼズ。

 

フロントポイントは、まさにその瞬間にうってつけのポジションを取っていた。最後のCDSをすでに2ヶ月前の7月前半に、グレッグ・リップマンに売り戻してあったからだ。これでフロントポイントは株式市場専門の投資家集団に戻ったことになる。

 

その時点で、フロントポイントは、許される限界近くまでショートしていて、その全てが、まさに、破綻騒ぎの先陣を切った投資銀行数行の株が下げる方に賭けたものだった。

 

 

バーリの退場

マイケル・バーリは、かなり早い時期から、自分の投資ポートフォリオの方向性を、はっきりと金融システムの崩壊に賭ける方へ転じるのがどれほど憂鬱なことか気がついていた。

 

顧客たちは、バーリに大金を稼いでもらったというのに、どうやら、過去3年以上にわたって“無謀”な賭けに付き合わされてきた精神的な負担が償われていないと感じているらしかった。

2008年6月30日には、2000年11月1 日の創設時からサイオン・キャピタルに資金を預託してきた投資家たち全員が、手数料と経費の差引後に489.34%の利益を受けとった(ファンドの総利益は726%)。

2007年だけでも、バーリは顧客のために7億5,000万ドルを稼いでいて、それなのに、顧客からの預託金引き上げの要求が厳しくなったせいで目下管理している資金は6億ドルだけだった。

まるで、常に正論を述べてきたことで、墓穴を掘ってしまったかのように、バーリの存在は多くの人間に気まずい思いを味わわせていた。

 

11月初旬のある金曜日の午後、バーリは胸に痛みを覚えて、緊急治療室に入った。血圧が急上昇していた。1週間後の11月12日、顧客たちに宛てた最後の手紙を出した。

「私は自分自身の行動や、わがファンドの投資家、共同出資者、

果ては元の従業員によって、何度も瀬戸際に追い込まれました。わたしはいつでも、濃密すぎることの多かったこの事業との関係を、清算することも、継続することもできたのです。ところが今、わたしは一身上の問題にて、否応なく境界線の外に押し出され、そこで、胸がふさがるような認識を持つに至りました。このファンドを閉鎖するしかないという認識です」

そう締めくくったバーリは、いぶかる大勢の人々を残して、姿を消した。

 

 

怪物の胃袋

6週間前にアイズマンはこう言っていた。

「投資銀行業界はもうダメだ。なかにいる連中も、今ようやく、自分たちがどれくらいダメか、わかりかけてきた」

リーマン・ブラザーズは姿を消し、メリル・リンチは白旗を揚げ、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーはほんの1週間後に投資銀行であることをやめてしまう。

 

ダニエルはこう言う。

「あんまりこんな風には考えたくないんですが、我々が狙っていたのは、『この市場をショートすることで、流動性が生み出されて、市場が回り続ける』ということだと思うんです」

 

「怪物に餌をやるようなもんだな」と、アイズマン。

「われわれは怪物の胃袋がはちきれるまで餌をやり続けた」

 

怪物は破裂しつつあった。なのに、マンハッタンの路上には何か重大なことが 起こったという徴候がまったく見えなかった。それが、お金というものの厄介なところだ。聖パトリック大聖堂も前を行き来する人々が、たった今自分の身に降りかかった事態の真相を知るのは、いったいいつのことだろうか。