資産運用 Lab.

第一章 そもそもの始まり(後編)

 

要約

 

詐欺を見破る

数年後アイズマンはチルトン・インヴェストメントという巨大ヘッジファンドに入社する。自分で金を運用することを選んだが、その先でもまた企業分析業務をやらされることとなった。

 

その中で、2002年、アイズマンはハウスホールド−1870年代創業の大手老舗消費者金融−が制作したホーム・エクイティ・ローン販促文書の最新版を手に入れた。アメリカ国民がITバブルの崩壊の余波にさらされていて、新たな債務を背負う余裕などない中で、圧倒的なペースで貸付を行い、業績を伸ばしていた。

 

それは、15年ローンを30年ローンに見せかけて売ることで達成されていた。そして、目くらましのようないかがわしい売り文句で12.5%も払わなければいけない金利を「7%の実行金利」だと説明していた。

 

 

釣り金利

そこからアイズマンはハウスホールドとの聖戦だけが彼の務めとなった。結局2002年の年末にハウスホールドは集合代表訴訟に示談で応じ、12の州に対して合計4億8,400万ドルの罰金を支払うことに同意した。翌年には、サブプライムローンの巨大なポートフォリオと一緒に、150億ドルでHSBCグループに身売りした。

 

アイズマンはサブプライム住宅ローンの本来の姿をもっとつぶさに見るようになった。

「サブプライム住宅ローンは“詐欺”そのものだ。『他のローンも低金利でまとめて返せる』と言っているが、それは本当の金利ではなく“釣り(テイザー)金利”だ。」とアイズマンは語っている。

こういった事件をきっかけに、アイズマンは金融システムが貧困層を食いものにしているという実感に確信を得ていた。

 

 

ヘッジファンドを設立

チルトンでは資金運用を任せてもらえなかったアイズマンは自分でヘッジファンドを設立しようと考えた。モルガン・スタンレーの100%子会社となり、ウォール街の投資銀行・住宅建設会社・モーゲージのオリジネーター・GEのような大型の金融サービス部門を持つ企業だけを投資対象にしたファンドだ。

 

資金集めは難航したが、メンバー集めにはそれほど苦労しなかった。ヴィンセント・ダニエルに加え、チルトン・インヴェストメント時代の同僚のポーター・コリンズ、オッペンハイマーのセールスマンだったダニー・モーゼズが仲間に加わった。

2005年の初め頃には、アイズマンの率いる小集団は、ウォール街で働く非常に多くの人間が自分の仕事の内容を全く理解していないという共通認識を持つに至った。

 

時を同じくして、サブプライム・モーゲージという怪物が再び立ち上がり、動き始めていた。その勢いは、初期のそれを上回っており、1990年代半ばの貸し付け額が最大で300億ドルだったのに対し、2000年には1,300億ドル、2005年にはサブプライム・モーゲージ・ローンが6,250億ドル、そこから最終的にモーゲージ債になった金額が5,700億ドルに及んだ。

 

金利が上がったにも関わらず、貸し付け額が増えているのは理屈に合わなかった。さらに驚くべきは、ローンの条件が焦付きを促すようなやり方に変わっていたことだ。1996年には全体の65%は固定金利で組まれていが、2005年には全体の75%が「2年間固定+変動金利」で組まれていた。

 

サブプライム金融劇の”第一幕”では、ローンの端切れを帳簿に載せ続けたことで破綻に追い込まれたが、そこから「返済できない人間には金を貸すな」という教訓ではなく「そういうローンを組み続けても構わないが帳簿には載せるな。大手投資銀行の債券部に売れば、ひとまとめ(パッケージ)にして債券に変えて投資家に売ってくれるのだから。」といったものだった。

 

“組んで売る(オリジネート・アンド・セル)”というモデルを始めて採用したのは、ロングビーチ・セイヴィングズという銀行だった。

貸付元(オリジネーター)が買わなくても、ウォール街が買ってくれる!というこのモデルは大当たりする。それを受けてオリジネート・アンド・セルのみを専門に行うB&Cモーゲージという新会社が設立され、リーマン・ブラザーズがこれを買収した。

2005年までには、ウォール街のすべての大手投資銀行がサブプライム・ゲームに深くはまり込んでいた。

 

アイズマンとそのチームは、アメリカの住宅市場とウォール街を深く理解しており、ゴールドマン・サックスが下位中流層のアメリカ人の借金でひと儲けをたくらむとどのようなことになるのか、最悪のシナリオがはっきりと浮かんでいた。

アイズマンにもわからなかったのが、このサブプライム・モーゲージの第二波で、誰が債券の買い手になるのかということだった。「サブプライム金融に関わる会社を空売り(ショート)して、大儲けする日が来るだろう。“こいつ”は必ず粉々に吹っ飛ぶ!わからないのは、いつ、どうやって吹っ飛ぶのかということだけだ」

 

アイズマンはローンが焦つき始めるまでじっと機を待った。

 

どの“株”を選ぶべきかということに意識を集中させてきたが、株の動向はどんどん債券への依存度を高めつつあった。今やウォール街の主要な投資銀行は、どこも債券部で持っているようなものだった。

 

そこでアイズマンの頭の中にひらめき訪れた。

 

しかし、アイズマンが債券市場に対する目論見を持った頃、一方で、債券市場もアイズマンの登場を待ちわびていた・・・

 

 

 

補足情報

 

HSBCとは

1865年香港に設立された香港上海銀行(Hongkong and Shanghai Banking Corp. Ltd.)に源流を持つ、イギリス最大規模の金融機関で、イギリス、アジアなどを基盤にする世界有数の銀行持株会社。

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

第一章 そもそもの始まり(後編)

 

要約

 

詐欺を見破る

数年後アイズマンはチルトン・インヴェストメントという巨大ヘッジファンドに入社する。自分で金を運用することを選んだが、その先でもまた企業分析業務をやらされることとなった。

 

その中で、2002年、アイズマンはハウスホールド−1870年代創業の大手老舗消費者金融−が制作したホーム・エクイティ・ローン販促文書の最新版を手に入れた。アメリカ国民がITバブルの崩壊の余波にさらされていて、新たな債務を背負う余裕などない中で、圧倒的なペースで貸付を行い、業績を伸ばしていた。

 

それは、15年ローンを30年ローンに見せかけて売ることで達成されていた。そして、目くらましのようないかがわしい売り文句で12.5%も払わなければいけない金利を「7%の実行金利」だと説明していた。

 

 

釣り金利

そこからアイズマンはハウスホールドとの聖戦だけが彼の務めとなった。結局2002年の年末にハウスホールドは集合代表訴訟に示談で応じ、12の州に対して合計4億8,400万ドルの罰金を支払うことに同意した。翌年には、サブプライムローンの巨大なポートフォリオと一緒に、150億ドルでHSBCグループに身売りした。

 

アイズマンはサブプライム住宅ローンの本来の姿をもっとつぶさに見るようになった。

「サブプライム住宅ローンは“詐欺”そのものだ。『他のローンも低金利でまとめて返せる』と言っているが、それは本当の金利ではなく“釣り(テイザー)金利”だ。」とアイズマンは語っている。

こういった事件をきっかけに、アイズマンは金融システムが貧困層を食いものにしているという実感に確信を得ていた。

 

 

ヘッジファンドを設立

チルトンでは資金運用を任せてもらえなかったアイズマンは自分でヘッジファンドを設立しようと考えた。モルガン・スタンレーの100%子会社となり、ウォール街の投資銀行・住宅建設会社・モーゲージのオリジネーター・GEのような大型の金融サービス部門を持つ企業だけを投資対象にしたファンドだ。

 

資金集めは難航したが、メンバー集めにはそれほど苦労しなかった。ヴィンセント・ダニエルに加え、チルトン・インヴェストメント時代の同僚のポーター・コリンズ、オッペンハイマーのセールスマンだったダニー・モーゼズが仲間に加わった。

2005年の初め頃には、アイズマンの率いる小集団は、ウォール街で働く非常に多くの人間が自分の仕事の内容を全く理解していないという共通認識を持つに至った。

 

時を同じくして、サブプライム・モーゲージという怪物が再び立ち上がり、動き始めていた。その勢いは、初期のそれを上回っており、1990年代半ばの貸し付け額が最大で300億ドルだったのに対し、2000年には1,300億ドル、2005年にはサブプライム・モーゲージ・ローンが6,250億ドル、そこから最終的にモーゲージ債になった金額が5,700億ドルに及んだ。

 

金利が上がったにも関わらず、貸し付け額が増えているのは理屈に合わなかった。さらに驚くべきは、ローンの条件が焦付きを促すようなやり方に変わっていたことだ。1996年には全体の65%は固定金利で組まれていが、2005年には全体の75%が「2年間固定+変動金利」で組まれていた。

 

サブプライム金融劇の”第一幕”では、ローンの端切れを帳簿に載せ続けたことで破綻に追い込まれたが、そこから「返済できない人間には金を貸すな」という教訓ではなく「そういうローンを組み続けても構わないが帳簿には載せるな。大手投資銀行の債券部に売れば、ひとまとめ(パッケージ)にして債券に変えて投資家に売ってくれるのだから。」といったものだった。

 

“組んで売る(オリジネート・アンド・セル)”というモデルを始めて採用したのは、ロングビーチ・セイヴィングズという銀行だった。

貸付元(オリジネーター)が買わなくても、ウォール街が買ってくれる!というこのモデルは大当たりする。それを受けてオリジネート・アンド・セルのみを専門に行うB&Cモーゲージという新会社が設立され、リーマン・ブラザーズがこれを買収した。

2005年までには、ウォール街のすべての大手投資銀行がサブプライム・ゲームに深くはまり込んでいた。

 

アイズマンとそのチームは、アメリカの住宅市場とウォール街を深く理解しており、ゴールドマン・サックスが下位中流層のアメリカ人の借金でひと儲けをたくらむとどのようなことになるのか、最悪のシナリオがはっきりと浮かんでいた。

アイズマンにもわからなかったのが、このサブプライム・モーゲージの第二波で、誰が債券の買い手になるのかということだった。「サブプライム金融に関わる会社を空売り(ショート)して、大儲けする日が来るだろう。“こいつ”は必ず粉々に吹っ飛ぶ!わからないのは、いつ、どうやって吹っ飛ぶのかということだけだ」

 

アイズマンはローンが焦つき始めるまでじっと機を待った。

 

どの“株”を選ぶべきかということに意識を集中させてきたが、株の動向はどんどん債券への依存度を高めつつあった。今やウォール街の主要な投資銀行は、どこも債券部で持っているようなものだった。

 

そこでアイズマンの頭の中にひらめき訪れた。

 

しかし、アイズマンが債券市場に対する目論見を持った頃、一方で、債券市場もアイズマンの登場を待ちわびていた・・・

 

 

 

補足情報

 

HSBCとは

1865年香港に設立された香港上海銀行(Hongkong and Shanghai Banking Corp. Ltd.)に源流を持つ、イギリス最大規模の金融機関で、イギリス、アジアなどを基盤にする世界有数の銀行持株会社。