資産運用 Lab.

第一章 そもそもの始まり(前編)

要約

 

1960年代はじめからオッペンハイマー–ウォール街に残された昔ながらの合資会社の一つ–の代理人として働いていた父と母の口利きによって、アイズマンは金融界に足を踏み入れた。

アイズマンの仕事は株式の分析を行うことからはじまった。

 

下級の株式アナリストであったアイズマンは自分の意見が求められるような立場ではなかった。しかし、「エイムズ・ファイナンシャル」というサブプライム・モーゲージ金融会社が株式を公開したときのことアイズマンは“ホラ”を吹いてエイムズ・ファイナンシャル担当の筆頭アナリストに抜擢されることとなる。

 

エイムズ・ファイナンシャルは遠回しに“特化融資”と謳ったローンを金に困っている人に提供する新しいカテゴリーの企業だった。

そのカテゴリーは1990年台前半のサブプライム・モーゲージの貸付ブームに関与した多数の“無名”の企業からなっており、その中で最初に株式を公開したのがエイムズだった。

 

エイムズに続いて、アイズマンはロマス・ファイナンシャルという倒産から立ち直ったばかりの会社を担当した。

そこでも、アイズマンは「ろくでもない会社だから“売り”」と評価を下した。

ウォール街において、自身の担当する会社の株に“売り”の評価をつけることは異例であったが、この評価が公にされた数ヶ月後、ロマス・ファイナンシャルは再び倒産した。

 

オッペンハイマーのアナリストの中で、市場に影響力をもつものは少なかったが、アイズマンはすぐにその一人としての地位を確立する。

 

 

住宅ローンを債券化する

モーゲージ債はいくつかの重要な点で、昔ながらの社債や国債とは異なっている。モーゲージ債は期間が明示された単独の大きなローンではなく、何千件もの個人住宅ローンのプールから生じるキャッシュフローに対する請求権に当たる。

当時の債券投資家は、「償還が早くなること」に対する不安があったものの「まったく償還されない」ことについては心配していなかった。ローンのプールは政府の各機関が設定した基準内に収まっており、実質的には政府の保障付きのローンとなっていた。

 

しかし、急成長していたこの“特別融資”の業界にアイズマンが転がり込んだ頃、“政府の保障の範囲外”のローンを売るという新しい流れが生まれつつあった。

その目的は、信用度の低い住宅所有者に信用貸しをすることで、すでに所有している家の持分を現金化できるようにするためだった。

 

当時、この“新しい”特別融資によって、大型融資と下位中流層との接点は増え続け、それがアメリカンの下位中流層に利益をもたらすと考えられていた。市場の効率性が増し、下位中流層のアメリカ人はより低い利息で債務を返済できると思われた。

これによって1990年代前半には初期のサブプライム・モーゲージ金融業者が急成長を当て込んで株式を公開した。1990年代半ばには、小規模な消費者金融企業が毎年何十社も市場に参入した。

 

サブプライムローンは細分化し、貸し手が自分たちの組んだローンの大部分をモーゲージという形で他の投資家に売ったことで業界内に倫理の欠如(モラル・ハザード)が蔓延した。

商品が優れていたために、品性下劣な手合いが集まってきてしまったのが問題だった。

 

数々のサブプライム金融業社を上場させる中で「サブプライムは、高金利の負債から消費者を救い出し、金利の低いモーゲージへの負債に導いており、消費者の味方である」という筋書きを、アイズマンも信じていた。

 

 

右腕ダニエル

 

ダニエルは、ウォール街の投資銀行の監査を任じられた会計士にはその投資銀行が金を稼いでいるのか失っているのか突き止めることはできないというもので、別の仕事を探すことにした。

そこで学生時代の友人が勤めているオッペンハイマーに履歴書を送り、それがアイズマンのもとに届くこととなった。

 

ちょうどアイズマンは、サブプライム・モーゲージのオリジネーター(ローンを提供し、債券をまとめてプールを作成する業者)の用いる計算法が複雑で、解析を手伝ってくれる人間を探していた。当時アイズマンはサブプライム・モーゲージ金融がアメリカ経済に有益な広がりをもたらしたことを認めていた。

 

しかし、同時に“何か”をかぎつけており、その正体を見極めるためにダニエルの手助けを必要としていた。多かれ少なかれサブプライム業界全体を描き下ろすようなレポートを書こうとしており、非常に慎重に準備を進めていた。

 

格付け機関のムーディーズは早くもサブプライムローンに関するあらゆる新情報を揃えて売りに出していた。そのデータベースを必死に分析することでダニエルはサブプライム・モーゲージ業界から漂う悪臭の質を掴みかけていた。

 

各業界は増える一方の収益については公表しつつ、それ以外の情報をあまり公表していなかった。例えば、貸し付けた住宅ローンの延滞率がそれだ。しつこく尋ねると業者側は「関係ない」と答えたが、虚偽の告知に近かった。

 

具体的には“移動式住宅(トレーラーハウス)”の繰上げ返済率が高かった。これは明らかに異質であり「強制的な繰上げ返済」があることを汲み取ることができた。

実際には“債務不履行”である。

実際には“サブプライム”と名のつくどの区分でも、非常に高い割合で繰上げ返済や焦げつきが生じていた。つまり、実際の延滞率の高さから考えると、そういったローンの金利はリスクに見合う高さではなかった。

 

サブプライム金融業社は例外なく急激な成長とふてぶてしい会計操作の力で帳簿上の収益に実体がないという事実を覆い隠していた。この手口はマルチ商法と酷似しており、収益性の高い企業であるという虚構を維持するために、もっと多くのサブプライムローンを作り出す必要があり、そのために、より多くの資本をかき集める必要があった。

 

アイズマンのまとめたレポートは十指に余る業者のごまかしを一つ一つ暴いており、サブプライムのオリジネーターを全てゴミ扱いしていた。

アイズマンがレポートを発表したのは1997年9月。アメリカ市場屈指の好景気と目されていたが、1年と経たないうちにロシアが財政危機に陥り、ロングターム・キャピタル・マネジメントが破綻。それを受けて、安全策を採る風潮が高まり、初期のサブプライム金融業者は資金を調達できず次々と倒産した。

 

 

補足情報

 

合資会社とは

「無限責任社員」と「直接有限責任社員」とで構成される会社形態のことです直接有限責任社員は「出資金についてはその金額の範囲内で限定的に責任を負う」ということになっていますが、会社債権者に対しては「直接責任を負う」こととなっています。

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

第一章 そもそもの始まり(前編)

要約

 

1960年代はじめからオッペンハイマー–ウォール街に残された昔ながらの合資会社の一つ–の代理人として働いていた父と母の口利きによって、アイズマンは金融界に足を踏み入れた。

アイズマンの仕事は株式の分析を行うことからはじまった。

 

下級の株式アナリストであったアイズマンは自分の意見が求められるような立場ではなかった。しかし、「エイムズ・ファイナンシャル」というサブプライム・モーゲージ金融会社が株式を公開したときのことアイズマンは“ホラ”を吹いてエイムズ・ファイナンシャル担当の筆頭アナリストに抜擢されることとなる。

 

エイムズ・ファイナンシャルは遠回しに“特化融資”と謳ったローンを金に困っている人に提供する新しいカテゴリーの企業だった。

そのカテゴリーは1990年台前半のサブプライム・モーゲージの貸付ブームに関与した多数の“無名”の企業からなっており、その中で最初に株式を公開したのがエイムズだった。

 

エイムズに続いて、アイズマンはロマス・ファイナンシャルという倒産から立ち直ったばかりの会社を担当した。

そこでも、アイズマンは「ろくでもない会社だから“売り”」と評価を下した。

ウォール街において、自身の担当する会社の株に“売り”の評価をつけることは異例であったが、この評価が公にされた数ヶ月後、ロマス・ファイナンシャルは再び倒産した。

 

オッペンハイマーのアナリストの中で、市場に影響力をもつものは少なかったが、アイズマンはすぐにその一人としての地位を確立する。

 

 

住宅ローンを債券化する

モーゲージ債はいくつかの重要な点で、昔ながらの社債や国債とは異なっている。モーゲージ債は期間が明示された単独の大きなローンではなく、何千件もの個人住宅ローンのプールから生じるキャッシュフローに対する請求権に当たる。

当時の債券投資家は、「償還が早くなること」に対する不安があったものの「まったく償還されない」ことについては心配していなかった。ローンのプールは政府の各機関が設定した基準内に収まっており、実質的には政府の保障付きのローンとなっていた。

 

しかし、急成長していたこの“特別融資”の業界にアイズマンが転がり込んだ頃、“政府の保障の範囲外”のローンを売るという新しい流れが生まれつつあった。

その目的は、信用度の低い住宅所有者に信用貸しをすることで、すでに所有している家の持分を現金化できるようにするためだった。

 

当時、この“新しい”特別融資によって、大型融資と下位中流層との接点は増え続け、それがアメリカンの下位中流層に利益をもたらすと考えられていた。市場の効率性が増し、下位中流層のアメリカ人はより低い利息で債務を返済できると思われた。

これによって1990年代前半には初期のサブプライム・モーゲージ金融業者が急成長を当て込んで株式を公開した。1990年代半ばには、小規模な消費者金融企業が毎年何十社も市場に参入した。

 

サブプライムローンは細分化し、貸し手が自分たちの組んだローンの大部分をモーゲージという形で他の投資家に売ったことで業界内に倫理の欠如(モラル・ハザード)が蔓延した。

商品が優れていたために、品性下劣な手合いが集まってきてしまったのが問題だった。

 

数々のサブプライム金融業社を上場させる中で「サブプライムは、高金利の負債から消費者を救い出し、金利の低いモーゲージへの負債に導いており、消費者の味方である」という筋書きを、アイズマンも信じていた。

 

 

右腕ダニエル

 

ダニエルは、ウォール街の投資銀行の監査を任じられた会計士にはその投資銀行が金を稼いでいるのか失っているのか突き止めることはできないというもので、別の仕事を探すことにした。

そこで学生時代の友人が勤めているオッペンハイマーに履歴書を送り、それがアイズマンのもとに届くこととなった。

 

ちょうどアイズマンは、サブプライム・モーゲージのオリジネーター(ローンを提供し、債券をまとめてプールを作成する業者)の用いる計算法が複雑で、解析を手伝ってくれる人間を探していた。当時アイズマンはサブプライム・モーゲージ金融がアメリカ経済に有益な広がりをもたらしたことを認めていた。

 

しかし、同時に“何か”をかぎつけており、その正体を見極めるためにダニエルの手助けを必要としていた。多かれ少なかれサブプライム業界全体を描き下ろすようなレポートを書こうとしており、非常に慎重に準備を進めていた。

 

格付け機関のムーディーズは早くもサブプライムローンに関するあらゆる新情報を揃えて売りに出していた。そのデータベースを必死に分析することでダニエルはサブプライム・モーゲージ業界から漂う悪臭の質を掴みかけていた。

 

各業界は増える一方の収益については公表しつつ、それ以外の情報をあまり公表していなかった。例えば、貸し付けた住宅ローンの延滞率がそれだ。しつこく尋ねると業者側は「関係ない」と答えたが、虚偽の告知に近かった。

 

具体的には“移動式住宅(トレーラーハウス)”の繰上げ返済率が高かった。これは明らかに異質であり「強制的な繰上げ返済」があることを汲み取ることができた。

実際には“債務不履行”である。

実際には“サブプライム”と名のつくどの区分でも、非常に高い割合で繰上げ返済や焦げつきが生じていた。つまり、実際の延滞率の高さから考えると、そういったローンの金利はリスクに見合う高さではなかった。

 

サブプライム金融業社は例外なく急激な成長とふてぶてしい会計操作の力で帳簿上の収益に実体がないという事実を覆い隠していた。この手口はマルチ商法と酷似しており、収益性の高い企業であるという虚構を維持するために、もっと多くのサブプライムローンを作り出す必要があり、そのために、より多くの資本をかき集める必要があった。

 

アイズマンのまとめたレポートは十指に余る業者のごまかしを一つ一つ暴いており、サブプライムのオリジネーターを全てゴミ扱いしていた。

アイズマンがレポートを発表したのは1997年9月。アメリカ市場屈指の好景気と目されていたが、1年と経たないうちにロシアが財政危機に陥り、ロングターム・キャピタル・マネジメントが破綻。それを受けて、安全策を採る風潮が高まり、初期のサブプライム金融業者は資金を調達できず次々と倒産した。

 

 

補足情報

 

合資会社とは

「無限責任社員」と「直接有限責任社員」とで構成される会社形態のことです直接有限責任社員は「出資金についてはその金額の範囲内で限定的に責任を負う」ということになっていますが、会社債権者に対しては「直接責任を負う」こととなっています。