資産運用 Lab.

第七章 偉大なる宝探し

潮目が変わり始める。これまでCDSを気前よく売ってくれた投資銀行の態度が微妙に変わる。が、そこにいたっても格付け機関もSECも現実を見ようとしない

 

要約

ラスヴェガスの大会が企画されたのは、何よりも市場の信頼性を高めるためだった。サブプライム・モーゲージ市場の関係者がラスヴェガスを離れて、自分たちのトレーディング・デスクに戻った翌日、市場に亀裂が生じた。

2007年1月31日、公開されているトリプルBのサブプライム・モーゲージ債のABXが93.03から91.98へと1ポイントを超える下落を示した。過去数カ月の間、100から93までごく小さな幅で徐々に下がってきていたので、1ポイント以上の動きは衝撃的だった。

※ABX(Asset-Backed securities indeX)とは

債券の信用度を点数化したもの。100点から始まり、信用度が下がるほど点数は下がっていく。

 

モルガン・スタンレーはそのCDOに対するCDSを快く売ってくれることになっていたが、チャーリーが深夜までかけてどのCDOの破綻にかけるべきか検討した後担当者に電話をかけると、そこでモルガン・スタンレーの心変わりを知らされた。

前日まで100ベーシスポイント(保険対象額の1%)程度で保険が買えるという話だったのに、一夜明けていざトレードを実施しようとしたら、倍を超える値段になっていたのだ。その一方的なやり方にチャーリーが不平を鳴らし、抗議すると、少しだけ譲歩された。2007年2月16日、コーンウォールはモルガン・スタンレーに150ベーシスポイントを支払って、“ガルフストリーム”という謎めいた名のCDOに対するCDSを1,000万ドル分手に入れた。

5日後の2月21日、市場は“TABX”と呼ばれるCDOの指数をトレードし始めた。チャーリーもレドリーも、その他すべての市場関係者も初めて個別のCDOの価格を見ることができるようになった。

 

トレードの初日が終わったとき、裏付けとなる債券の15%が不履行になっただけで損失を被るダブルAのトランシュが49.25の値をつけた。半分を超す価値を失ったということだ。

そこには、とんでもない不整合があった。ウォール街の投資銀行は、低金利のダブルAのCDOを額面100セントで売りながら、そのまったく同じ債券で構成された指数を49セントでトレードしているのだ。

 

翌朝、チャーリーはもっと保険が買えないかと思って、モルガン・スタンレーにまた電話した。しかし担当者に「当行の方針が変わった」と告げられ、保険を買うことはできなかった。昨日まで熱心にサブプライム・モーゲージ市場に対する保険を熱心に売り込んでいたのに、一夜にして180度姿勢を変えたモルガン・スタンレーとはそこで取引関係がなくなった。

 

しかし、チャーリーはそれについて深く考えるような暇もなかった。というのも、ラスヴェガスで出会ったワコビアの行員との商談に忙しかったからだ。

驚いたことに、ワコビアはまだ、サブプライム・モーゲージ債に掛ける安い保険を積極的に売りたがっていた。しばらく時間はかかったものの、4,500万ドルのトレードが5月はじめに遂行された。

3,000万ドル未満のポートフォリオしか持たないコーンウォール・キャピタルが、今やサブプライム・モーゲージ債に対するCDSを2億500万ドル分保有し、なおかつ、思うように買い足せないことを大きな悩みの種にしていた。

 

わけがわからなかった。サブプライムCDO市場は以前と同じように動いているのに、ウォール街の大手投資銀行はそれまでのCDSを買いたがる投資家たちにとって、突然利用不能の存在になってしまった。彼らはショートする機会を奪われてしまったのだ。

大手投資銀行の内部で何が起こりつつあるのか、確かなことはわからなかったが、推測はできた。「ベアー・スターンズの連中と話をしていて、もしCDOに対するCDSがまだ売れ残っていたら、自分たちで買うんじゃないかという印象を受けました」と、チャーリーは言う。

 

火災中の家の火災保険を買ったようなもの

コーンウォールのトレードは、ばかばかしいほど結果のはっきりした賭けに思えた。炎上中の家の火災保険を安値で買ったようなものだった。

2007年1月後半になると、サブプライム・モーゲージ債から成るABX指数が下がり始めた。当初はゆっくり着実な下落だったが、やがて勾配が急になり、6月はじめにはトリプルBのサブプライム・モーゲージ債の指数は60台後半の終わり値をつけていた。

となると、トリプルBのサブプライム債から創られたCDOの値も急落すると考えるのは道理だろう。オレンジが腐っていれば、そのオレンジを搾った果汁も腐っているはずなのだ。

 

なのに、そうはならなかった。それどころが2007年2月から6月にかけて、メリル・リンチとシティグループを筆頭とする大手投資銀行は、新たにCDOを500億ドル分創り出し、それを販売した。ウォール街の投資銀行、特に、ベアー・スターンズとリーマン・ブラザーズはその後も変わらず、債券市場の“堅調さ”を裏付ける調査結果を発表し続けた。

5月後半には、ムーディーズとS&Pはサブプライム・モーゲージ債の格付けモデルを見直すことを発表した。チャーリーとジェイミーは弁護士を雇って、ムーディーズに電話をかけさせ、今後発行されるサブプライム債を違う基準で格付けするのなら、すでに誤って格付けした約2兆ドル分の債券についても見直すべきではないかと申し立てた。

しかし、ムーディーズは逃げ腰で、「うーん…それはちょっと」といった感じで、乗り気ではなかった。

 

SECも理解していない

チャーリーたちから見て一目瞭然だったのは、ウォール街が鈍感な顧客に損失を押し付け、朽ちかけた市場で最後の数十億ドルを稼ぎ出すために、CDOの価格を底上げしているということだ。2007年3月後半の状況をチャーリーはこう語る。

「あからさまな詐欺行為で、僕らに言わせれば、民主主義の根幹に大きく関わる問題です。」

3人はSEC(証券取引委員会)の法執行局にこの話をしたが、まったく興味を示されなかった。

「向こうはCDOのことや資産担保証券のことを何も知りませんでした。」

結局、SECは結局調査に乗り出さなかった。

 

コーンウォールには社会の崩壊よりも差し迫った問題があった。ご存知、ベアー・スターンズの崩壊だ。コーンウォールの保有するCDSの70%はベアー・スターンズから買ったものだ。ベアー・スターンズは大手の一流投資銀行であり、それまでコーンウォールに担保を差し入れたことはなかった。

これによってコーンウォールはベアー・スターンズが賭けの支払いをできなくなるという可能性と正面から向き合わされることになった。サブプライム・モーゲージ市場が崩れ落ちれば、それと共に、ベアー・スターンズも崩れ落ちるだろう。

コーンウォールは、3月の時点でイギリスの銀行HSBC(香港上海銀行)からベアー・スターンズに対するCDSを1億500万ドル分買っていた。つまり、ベアー・スターンズが破綻する方に賭けたということだ。HSBCは世界第3位の銀行なので、それで潰れるとは考えにくかった。

ところが、2007年2月8日、HSBCはサブプライム・モーゲージ・ローンのポートフォリオに関して、予想外に多額の損失を出したと発表し、市場を動揺させることとなった。

同行は2003年にアメリカのサブプライム金融事業に参入した際、アメリカ最大手の消費者金融企業、ハウスホールド・ファイナンスを買収していた。“あの”ハウスホールド・ファイナンスだ。

 ※詳しくは第一章「そもそもの始まり」を参照

 

 

皆が現実を見ないふりをしている

数兆ドル規模のアメリカ債券市場の詐欺とおぼしき行為が徐々に暴かれていくこの状況は、社会的に見れば大きな破局だろうが、ヘッジアンドのトレードという視点から見れば、それは千載一遇のチャンスになる。

6,000万ドルのエクイティ・ファンドの運営から始めたスティーヴ・アイズマンは、今や約6億ドル分の様々なサブプライム関連の証券をショートしていて、さらにショートする材料を求めていた。

 

2007年の春、信じがたいことに、サブプライム・モーゲージ債市場がわずかに活気づいた。株式側は急騰を続け、フロントポイントのトレーディング・デスクの上方にあるテレビには、絶え間なく上昇のしるしが映し出された。

 

ラスヴェガスから戻ると、3人はもっと情報を探りだすべく、格付け機関やその周辺の人物につきまとい始めた。

ローンの多くが焦げ付き始めているというのに、サブプライム債の値動きはなかった。なぜなら、不可解なことに、ムーディーズとS&Pが頑としてサブプライム債に関する公式見解を変えようとしなかったからだ。さらに深く掘り下げようと、アイズマンはS&Pに電話をかけて不動産価格が下がった場合、債務不履行率がどうなるかを聞いた。S&Pの社員はそれに答えることができなかった。

 

 

メリル・リンチをショートする

6月初旬には、サブプライム・モーゲージ債市場が間断なき下降を再開し、フロントポイントのポジションも動き始めた。1日1,000ドル単位で始まって、やがて100万ドル単位で動くようになった。フロントポイントはすでに、モーゲージ・オリジネーターと住宅建設会社それぞれ数社の株をショートしていたが、今では、そのショート・ポジションに格付け機関の株も加わった。

 

ウォール街が仕組み金融と呼ばれる新たな産業をでっち上げたのは、ひとつには昔ながらの事業の収益が日に日に減っていたからだ。株式仲介の収益も、従来型の債券仲介の収益も、インターネット上の競合相手に圧迫されつつあり、市場がサブプライム・モーゲージ債とそれに裏付けられたCDOを買うのをやめた瞬間、投資銀行は窮地に立たされた。

 

2007年半ばになる直前まで、アイズマンは、投資銀行が自分たちの創ったものに投資するほどの愚行に走るとは思っていなかったが、いくつかの新事実を組み合わせ、内部の人間と実際に顔を合わせたりするたびに、アイズマンの疑念には拍車がかかった。

 

1つめの新事実は、2007年2月、HSBCがサブプライム・ローン絡みで巨額の損失を出したことを発表し、次いで3月にサブプライム関連のポートフォリオを投げ売りすることを発表したことだった。

「HSBCは優良企業だとされていました。それがこんなことになってしまったとなると、それ以下のレベルの会社はどうなるんだ、って思いましたね。」

 

2つめは、メリル・リンチの第2四半期の財務報告だった。2007年7月、メリル・リンチはサブプライム債の損失が原因で、モーゲージ・トレーディング部門が収入減に甘んじたことを認めた。相当数のサブプライム・モーゲージ証券を抱えていたからだ。

メリル・リンチの最高財務責任者(CFO)ジェフ・エドワーズはブルームバーグ・ニュースに以下のように語った。

“現行のリスク管理”が低格付けのサブプライム債に対するメリル・リンチのリスクを減らしてきたのだから、今回の件も心配するには当たらないということだった。

 

投資銀行側が本気でサブプライム・モーゲージ市場の件は重大視するに及ばないと信じているとしたら、サブプライム・モーゲージ市場が投資銀行の息の根を止める可能性はある。アイズマンたちは、サブプライムがらみの隠れたリスクを探し始めた。

「ぼくらはそれを“偉大なる宝探し”と呼んだ」と、アイズマン。

ウォール街のCEOたちに会いに行って、バランスシートに関するごく基本的な質問を投げかけた。

「連中は知らなかった。自分が経営する銀行のバランスシートのことを、知らないんだよ」

3人はバンク・オブ・アメリカをショートし、UBS、シティグループ、リーマン・ブラザーズ、その他いくつかの投資銀行をショートした。さすがにフロントポイントの所有者であるモルガン・スタンレーをショートするわけにはいかなかったが、もし可能なら、きっとショートしていただろう。その中には“当然”メリル・リンチも含まれていた。

 

やがて、ニュースが届いた。ウォール街において“のみ”有名なニュースレター『グラントの金利観測』に、格付け機関が自分たちの務めを放棄してしまったという記事が載った。CDOの内容を正確に知らないまま格付けをしてしまっているのはほぼ間違いない、と…。

それを呼んだスティーヴ・アイズマンは、金融界に関する自分の説を補強してくれる初めての第三者をそこに見出した。

「その記事を読んでこう思った。これは黄金の鉱脈を掘り当てたようなもんだぞ。あれを読んで射精しそうになったのは、株の世界でぼくだけだっただろうなあ」

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

第七章 偉大なる宝探し

潮目が変わり始める。これまでCDSを気前よく売ってくれた投資銀行の態度が微妙に変わる。が、そこにいたっても格付け機関もSECも現実を見ようとしない

 

要約

ラスヴェガスの大会が企画されたのは、何よりも市場の信頼性を高めるためだった。サブプライム・モーゲージ市場の関係者がラスヴェガスを離れて、自分たちのトレーディング・デスクに戻った翌日、市場に亀裂が生じた。

2007年1月31日、公開されているトリプルBのサブプライム・モーゲージ債のABXが93.03から91.98へと1ポイントを超える下落を示した。過去数カ月の間、100から93までごく小さな幅で徐々に下がってきていたので、1ポイント以上の動きは衝撃的だった。

※ABX(Asset-Backed securities indeX)とは

債券の信用度を点数化したもの。100点から始まり、信用度が下がるほど点数は下がっていく。

 

モルガン・スタンレーはそのCDOに対するCDSを快く売ってくれることになっていたが、チャーリーが深夜までかけてどのCDOの破綻にかけるべきか検討した後担当者に電話をかけると、そこでモルガン・スタンレーの心変わりを知らされた。

前日まで100ベーシスポイント(保険対象額の1%)程度で保険が買えるという話だったのに、一夜明けていざトレードを実施しようとしたら、倍を超える値段になっていたのだ。その一方的なやり方にチャーリーが不平を鳴らし、抗議すると、少しだけ譲歩された。2007年2月16日、コーンウォールはモルガン・スタンレーに150ベーシスポイントを支払って、“ガルフストリーム”という謎めいた名のCDOに対するCDSを1,000万ドル分手に入れた。

5日後の2月21日、市場は“TABX”と呼ばれるCDOの指数をトレードし始めた。チャーリーもレドリーも、その他すべての市場関係者も初めて個別のCDOの価格を見ることができるようになった。

 

トレードの初日が終わったとき、裏付けとなる債券の15%が不履行になっただけで損失を被るダブルAのトランシュが49.25の値をつけた。半分を超す価値を失ったということだ。

そこには、とんでもない不整合があった。ウォール街の投資銀行は、低金利のダブルAのCDOを額面100セントで売りながら、そのまったく同じ債券で構成された指数を49セントでトレードしているのだ。

 

翌朝、チャーリーはもっと保険が買えないかと思って、モルガン・スタンレーにまた電話した。しかし担当者に「当行の方針が変わった」と告げられ、保険を買うことはできなかった。昨日まで熱心にサブプライム・モーゲージ市場に対する保険を熱心に売り込んでいたのに、一夜にして180度姿勢を変えたモルガン・スタンレーとはそこで取引関係がなくなった。

 

しかし、チャーリーはそれについて深く考えるような暇もなかった。というのも、ラスヴェガスで出会ったワコビアの行員との商談に忙しかったからだ。

驚いたことに、ワコビアはまだ、サブプライム・モーゲージ債に掛ける安い保険を積極的に売りたがっていた。しばらく時間はかかったものの、4,500万ドルのトレードが5月はじめに遂行された。

3,000万ドル未満のポートフォリオしか持たないコーンウォール・キャピタルが、今やサブプライム・モーゲージ債に対するCDSを2億500万ドル分保有し、なおかつ、思うように買い足せないことを大きな悩みの種にしていた。

 

わけがわからなかった。サブプライムCDO市場は以前と同じように動いているのに、ウォール街の大手投資銀行はそれまでのCDSを買いたがる投資家たちにとって、突然利用不能の存在になってしまった。彼らはショートする機会を奪われてしまったのだ。

大手投資銀行の内部で何が起こりつつあるのか、確かなことはわからなかったが、推測はできた。「ベアー・スターンズの連中と話をしていて、もしCDOに対するCDSがまだ売れ残っていたら、自分たちで買うんじゃないかという印象を受けました」と、チャーリーは言う。

 

火災中の家の火災保険を買ったようなもの

コーンウォールのトレードは、ばかばかしいほど結果のはっきりした賭けに思えた。炎上中の家の火災保険を安値で買ったようなものだった。

2007年1月後半になると、サブプライム・モーゲージ債から成るABX指数が下がり始めた。当初はゆっくり着実な下落だったが、やがて勾配が急になり、6月はじめにはトリプルBのサブプライム・モーゲージ債の指数は60台後半の終わり値をつけていた。

となると、トリプルBのサブプライム債から創られたCDOの値も急落すると考えるのは道理だろう。オレンジが腐っていれば、そのオレンジを搾った果汁も腐っているはずなのだ。

 

なのに、そうはならなかった。それどころが2007年2月から6月にかけて、メリル・リンチとシティグループを筆頭とする大手投資銀行は、新たにCDOを500億ドル分創り出し、それを販売した。ウォール街の投資銀行、特に、ベアー・スターンズとリーマン・ブラザーズはその後も変わらず、債券市場の“堅調さ”を裏付ける調査結果を発表し続けた。

5月後半には、ムーディーズとS&Pはサブプライム・モーゲージ債の格付けモデルを見直すことを発表した。チャーリーとジェイミーは弁護士を雇って、ムーディーズに電話をかけさせ、今後発行されるサブプライム債を違う基準で格付けするのなら、すでに誤って格付けした約2兆ドル分の債券についても見直すべきではないかと申し立てた。

しかし、ムーディーズは逃げ腰で、「うーん…それはちょっと」といった感じで、乗り気ではなかった。

 

SECも理解していない

チャーリーたちから見て一目瞭然だったのは、ウォール街が鈍感な顧客に損失を押し付け、朽ちかけた市場で最後の数十億ドルを稼ぎ出すために、CDOの価格を底上げしているということだ。2007年3月後半の状況をチャーリーはこう語る。

「あからさまな詐欺行為で、僕らに言わせれば、民主主義の根幹に大きく関わる問題です。」

3人はSEC(証券取引委員会)の法執行局にこの話をしたが、まったく興味を示されなかった。

「向こうはCDOのことや資産担保証券のことを何も知りませんでした。」

結局、SECは結局調査に乗り出さなかった。

 

コーンウォールには社会の崩壊よりも差し迫った問題があった。ご存知、ベアー・スターンズの崩壊だ。コーンウォールの保有するCDSの70%はベアー・スターンズから買ったものだ。ベアー・スターンズは大手の一流投資銀行であり、それまでコーンウォールに担保を差し入れたことはなかった。

これによってコーンウォールはベアー・スターンズが賭けの支払いをできなくなるという可能性と正面から向き合わされることになった。サブプライム・モーゲージ市場が崩れ落ちれば、それと共に、ベアー・スターンズも崩れ落ちるだろう。

コーンウォールは、3月の時点でイギリスの銀行HSBC(香港上海銀行)からベアー・スターンズに対するCDSを1億500万ドル分買っていた。つまり、ベアー・スターンズが破綻する方に賭けたということだ。HSBCは世界第3位の銀行なので、それで潰れるとは考えにくかった。

ところが、2007年2月8日、HSBCはサブプライム・モーゲージ・ローンのポートフォリオに関して、予想外に多額の損失を出したと発表し、市場を動揺させることとなった。

同行は2003年にアメリカのサブプライム金融事業に参入した際、アメリカ最大手の消費者金融企業、ハウスホールド・ファイナンスを買収していた。“あの”ハウスホールド・ファイナンスだ。

 ※詳しくは第一章「そもそもの始まり」を参照

 

 

皆が現実を見ないふりをしている

数兆ドル規模のアメリカ債券市場の詐欺とおぼしき行為が徐々に暴かれていくこの状況は、社会的に見れば大きな破局だろうが、ヘッジアンドのトレードという視点から見れば、それは千載一遇のチャンスになる。

6,000万ドルのエクイティ・ファンドの運営から始めたスティーヴ・アイズマンは、今や約6億ドル分の様々なサブプライム関連の証券をショートしていて、さらにショートする材料を求めていた。

 

2007年の春、信じがたいことに、サブプライム・モーゲージ債市場がわずかに活気づいた。株式側は急騰を続け、フロントポイントのトレーディング・デスクの上方にあるテレビには、絶え間なく上昇のしるしが映し出された。

 

ラスヴェガスから戻ると、3人はもっと情報を探りだすべく、格付け機関やその周辺の人物につきまとい始めた。

ローンの多くが焦げ付き始めているというのに、サブプライム債の値動きはなかった。なぜなら、不可解なことに、ムーディーズとS&Pが頑としてサブプライム債に関する公式見解を変えようとしなかったからだ。さらに深く掘り下げようと、アイズマンはS&Pに電話をかけて不動産価格が下がった場合、債務不履行率がどうなるかを聞いた。S&Pの社員はそれに答えることができなかった。

 

 

メリル・リンチをショートする

6月初旬には、サブプライム・モーゲージ債市場が間断なき下降を再開し、フロントポイントのポジションも動き始めた。1日1,000ドル単位で始まって、やがて100万ドル単位で動くようになった。フロントポイントはすでに、モーゲージ・オリジネーターと住宅建設会社それぞれ数社の株をショートしていたが、今では、そのショート・ポジションに格付け機関の株も加わった。

 

ウォール街が仕組み金融と呼ばれる新たな産業をでっち上げたのは、ひとつには昔ながらの事業の収益が日に日に減っていたからだ。株式仲介の収益も、従来型の債券仲介の収益も、インターネット上の競合相手に圧迫されつつあり、市場がサブプライム・モーゲージ債とそれに裏付けられたCDOを買うのをやめた瞬間、投資銀行は窮地に立たされた。

 

2007年半ばになる直前まで、アイズマンは、投資銀行が自分たちの創ったものに投資するほどの愚行に走るとは思っていなかったが、いくつかの新事実を組み合わせ、内部の人間と実際に顔を合わせたりするたびに、アイズマンの疑念には拍車がかかった。

 

1つめの新事実は、2007年2月、HSBCがサブプライム・ローン絡みで巨額の損失を出したことを発表し、次いで3月にサブプライム関連のポートフォリオを投げ売りすることを発表したことだった。

「HSBCは優良企業だとされていました。それがこんなことになってしまったとなると、それ以下のレベルの会社はどうなるんだ、って思いましたね。」

 

2つめは、メリル・リンチの第2四半期の財務報告だった。2007年7月、メリル・リンチはサブプライム債の損失が原因で、モーゲージ・トレーディング部門が収入減に甘んじたことを認めた。相当数のサブプライム・モーゲージ証券を抱えていたからだ。

メリル・リンチの最高財務責任者(CFO)ジェフ・エドワーズはブルームバーグ・ニュースに以下のように語った。

“現行のリスク管理”が低格付けのサブプライム債に対するメリル・リンチのリスクを減らしてきたのだから、今回の件も心配するには当たらないということだった。

 

投資銀行側が本気でサブプライム・モーゲージ市場の件は重大視するに及ばないと信じているとしたら、サブプライム・モーゲージ市場が投資銀行の息の根を止める可能性はある。アイズマンたちは、サブプライムがらみの隠れたリスクを探し始めた。

「ぼくらはそれを“偉大なる宝探し”と呼んだ」と、アイズマン。

ウォール街のCEOたちに会いに行って、バランスシートに関するごく基本的な質問を投げかけた。

「連中は知らなかった。自分が経営する銀行のバランスシートのことを、知らないんだよ」

3人はバンク・オブ・アメリカをショートし、UBS、シティグループ、リーマン・ブラザーズ、その他いくつかの投資銀行をショートした。さすがにフロントポイントの所有者であるモルガン・スタンレーをショートするわけにはいかなかったが、もし可能なら、きっとショートしていただろう。その中には“当然”メリル・リンチも含まれていた。

 

やがて、ニュースが届いた。ウォール街において“のみ”有名なニュースレター『グラントの金利観測』に、格付け機関が自分たちの務めを放棄してしまったという記事が載った。CDOの内容を正確に知らないまま格付けをしてしまっているのはほぼ間違いない、と…。

それを呼んだスティーヴ・アイズマンは、金融界に関する自分の説を補強してくれる初めての第三者をそこに見出した。

「その記事を読んでこう思った。これは黄金の鉱脈を掘り当てたようなもんだぞ。あれを読んで射精しそうになったのは、株の世界でぼくだけだっただろうなあ」