資産運用 Lab.

第九章 沈没する投資銀行(前編)

モルガン・スタンレーのエリート舞台と目されていたハーウィーの部は、特注のCDSをつくって売りまくっていた。が、潮目が変わった今、それは死の財産だ

 

 

要約

2004年の初めの時点で、ハーウィー・ハブラーは既にモルガン・スタンレーに10年近く勤め、債券トレーディングで利益を出していた。資産担保債券の部署を率いていた関係で、ほぼ自動的にサブプライム・モーゲージを巡る賭けの責任者となった。

モルガン・スタンレーは、企業向け融資のパッケージに使われた金融技術を消費者ローンに拡大することにかけて、業界の先導役を務めてきた。同行の金融数学技術者たち(クオンツ)が率先して、資産担保債券のプールを基にしたCDOの評価方法をムーディーズやS&Pなどの格付け機関に伝授してきた。

モルガン・スタンレー内の誰かが資産担保債券に対するCDSを発明しようと思い立つのはごく自然なことだった。

 

サブプライム・ローンに保険を掛ける、つまり、ローンが価値を失う可能性に投資する際、リスクのひとつに数えられるのは、住宅価格が上昇を続けている場合に、借り手が借り換えをして古いローンを早期完済できるという点だった。

その対策として、マイク・エドマン(ハブラーの側近)のCDSの細則には、モルガン・スタンレーはプールの中の最後に残ったローンに対する保険を買うものとする、という条件が付されていた。

そんな風に設計されていたので、モルガン・スタンレー特注の新しい CDSはいずれはほぼ確実に償還されるものだった。全額が償還されるのに必要なプールの貸し倒れ率はわずか4%で、サブプライム・ローンなら、たとえ“好況時”でも到達しそうな数字だった。

ハブラーたちに残るただひとつの課題は、この賭けの相手方を務めるまぬけな得意先を見つけることだった。

 

 

モルガン・スタンレーの独立部隊ハーウィー

2005年初めまでに、ハーウィーは十分な数の輩を見つけ出し、その特注CDSの額は20億ドルに達していた。愚かな輩の側からすれば、ハーウィーが買いたがるCDSのトレードはボロイ儲け話に見えたことだろう。なにしろ投資適格(トリプルB)の資産担保債券を保有しているだけで、モルガン・スタンレーが無リスク金利を超える年間2.5%の保険料を支払ってくれるのだ。

この取引を特に好んだのが、ドイツの機関投資家たちだった。

 

2006年4月、モルガン・スタンレーの花形債券トレーダーであるハーウィーとその配下のトレーダーたちは、自分たちで概算したところ、モルガン・スタンレーの収益の20%を生み出していた。チームの稼ぎは10億ドルに達し、ハーウィーは、もはやありきたりの債券トレーダーとして働くことに喜びを見出せなくなっていた。

第一級の頭脳を持つ他行の看板トレーダーたちは、次々と大手投資銀行をやめて、ヘッジファンドを興し、数千万ドルではなく、数億ドルの報酬を手にしている。ハーウィーは顧客相手の仕事をばかばかしいと感じるようになっていた。

 

モルガン・スタンレーの経営陣の方は、ハブラーたちのチームが辞めてヘッジファンドを設立することを常に恐れていた。引き留めの策として、特別待遇が持ちかけられ、行内にハブラーを長とする自己勘定トレーディング集団を設けた。

その名も、GPCG(総合自己勘定信用取引集団、グローバル・プロプライアトリー・クレジット・グループ)。その新体制においては、集団が生み出す利益の何割かがハブラーの取り分になるというものだった。

 

ハブラーと配下のトレーダーたちは、サブプライム・ローンが焦げつく方に莫大な金を賭けていた。その込み入ったトレーディング・ポジションの目玉は依然として20億ドル分の特注CDSで、ハブラーは、近い将来にそれが20億ドルの純益になることを確信していた。

 

とはいえ、厄介な問題が一つあった。その保険契約を維持するためのプレミアムが、ハブラー軍団の短期収益を損なうことだ。年間20億ドルを稼ぎ出すはずだったが、その一方で、2億ドルの維持費がかかるCDSのポジションを抱えていた。

維持費の埋め合わせのため、ハブラーは複数のトリプルAのサブプライムCDOに対するCDSをいくらか売って、自分も何がしらのプレミアムを得ることにした。問題は、かなりリスクが低いはずのトリプルAのCDOに対するCDSのプレミアムがトリプルBに対するCDSのプレミアムの10分の1にしかならなかったことだ。支払っているのと同じ額の金を得るためには、既に保有しているCDSの約10倍のCDSを売る必要があった。

 

 

自分自身を欺く

2007年1月末、既にハーウィー・ハブラーはCDOのトリプルAのトランシュ160億ドル分に対するCDSを売り終えていた。かつて、ウォール街のエリート・トレーダーの、ひいてはサブプライム業界全体の気の迷いがこれほど如実に示された事例はなかった。

実質的に、ハブラーは、トリプルBのサブプライム債券の一部は暴落するが、全部は暴落しないという賭けをしたことになる。自分の属している市場を辛辣に見るだけの知恵はあったが、どの程度辛辣に見るべきかを判じる知恵はなかったということだ。

それまで20年以上にわたって、債券市場の複雑さは、ウォール街の債券トレーダーが顧客を欺くのを助けてきたが、今、その複雑さに導かれて、債券トレーダーが自分自身を欺こうとしていた。

ハブラーは自分自身の賭けには全くリスクがないと考えているようだった。懐を痛めることなく、わずかばかりの利息をかき集めている気になっていた。

 

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

第九章 沈没する投資銀行(前編)

モルガン・スタンレーのエリート舞台と目されていたハーウィーの部は、特注のCDSをつくって売りまくっていた。が、潮目が変わった今、それは死の財産だ

 

 

要約

2004年の初めの時点で、ハーウィー・ハブラーは既にモルガン・スタンレーに10年近く勤め、債券トレーディングで利益を出していた。資産担保債券の部署を率いていた関係で、ほぼ自動的にサブプライム・モーゲージを巡る賭けの責任者となった。

モルガン・スタンレーは、企業向け融資のパッケージに使われた金融技術を消費者ローンに拡大することにかけて、業界の先導役を務めてきた。同行の金融数学技術者たち(クオンツ)が率先して、資産担保債券のプールを基にしたCDOの評価方法をムーディーズやS&Pなどの格付け機関に伝授してきた。

モルガン・スタンレー内の誰かが資産担保債券に対するCDSを発明しようと思い立つのはごく自然なことだった。

 

サブプライム・ローンに保険を掛ける、つまり、ローンが価値を失う可能性に投資する際、リスクのひとつに数えられるのは、住宅価格が上昇を続けている場合に、借り手が借り換えをして古いローンを早期完済できるという点だった。

その対策として、マイク・エドマン(ハブラーの側近)のCDSの細則には、モルガン・スタンレーはプールの中の最後に残ったローンに対する保険を買うものとする、という条件が付されていた。

そんな風に設計されていたので、モルガン・スタンレー特注の新しい CDSはいずれはほぼ確実に償還されるものだった。全額が償還されるのに必要なプールの貸し倒れ率はわずか4%で、サブプライム・ローンなら、たとえ“好況時”でも到達しそうな数字だった。

ハブラーたちに残るただひとつの課題は、この賭けの相手方を務めるまぬけな得意先を見つけることだった。

 

 

モルガン・スタンレーの独立部隊ハーウィー

2005年初めまでに、ハーウィーは十分な数の輩を見つけ出し、その特注CDSの額は20億ドルに達していた。愚かな輩の側からすれば、ハーウィーが買いたがるCDSのトレードはボロイ儲け話に見えたことだろう。なにしろ投資適格(トリプルB)の資産担保債券を保有しているだけで、モルガン・スタンレーが無リスク金利を超える年間2.5%の保険料を支払ってくれるのだ。

この取引を特に好んだのが、ドイツの機関投資家たちだった。

 

2006年4月、モルガン・スタンレーの花形債券トレーダーであるハーウィーとその配下のトレーダーたちは、自分たちで概算したところ、モルガン・スタンレーの収益の20%を生み出していた。チームの稼ぎは10億ドルに達し、ハーウィーは、もはやありきたりの債券トレーダーとして働くことに喜びを見出せなくなっていた。

第一級の頭脳を持つ他行の看板トレーダーたちは、次々と大手投資銀行をやめて、ヘッジファンドを興し、数千万ドルではなく、数億ドルの報酬を手にしている。ハーウィーは顧客相手の仕事をばかばかしいと感じるようになっていた。

 

モルガン・スタンレーの経営陣の方は、ハブラーたちのチームが辞めてヘッジファンドを設立することを常に恐れていた。引き留めの策として、特別待遇が持ちかけられ、行内にハブラーを長とする自己勘定トレーディング集団を設けた。

その名も、GPCG(総合自己勘定信用取引集団、グローバル・プロプライアトリー・クレジット・グループ)。その新体制においては、集団が生み出す利益の何割かがハブラーの取り分になるというものだった。

 

ハブラーと配下のトレーダーたちは、サブプライム・ローンが焦げつく方に莫大な金を賭けていた。その込み入ったトレーディング・ポジションの目玉は依然として20億ドル分の特注CDSで、ハブラーは、近い将来にそれが20億ドルの純益になることを確信していた。

 

とはいえ、厄介な問題が一つあった。その保険契約を維持するためのプレミアムが、ハブラー軍団の短期収益を損なうことだ。年間20億ドルを稼ぎ出すはずだったが、その一方で、2億ドルの維持費がかかるCDSのポジションを抱えていた。

維持費の埋め合わせのため、ハブラーは複数のトリプルAのサブプライムCDOに対するCDSをいくらか売って、自分も何がしらのプレミアムを得ることにした。問題は、かなりリスクが低いはずのトリプルAのCDOに対するCDSのプレミアムがトリプルBに対するCDSのプレミアムの10分の1にしかならなかったことだ。支払っているのと同じ額の金を得るためには、既に保有しているCDSの約10倍のCDSを売る必要があった。

 

 

自分自身を欺く

2007年1月末、既にハーウィー・ハブラーはCDOのトリプルAのトランシュ160億ドル分に対するCDSを売り終えていた。かつて、ウォール街のエリート・トレーダーの、ひいてはサブプライム業界全体の気の迷いがこれほど如実に示された事例はなかった。

実質的に、ハブラーは、トリプルBのサブプライム債券の一部は暴落するが、全部は暴落しないという賭けをしたことになる。自分の属している市場を辛辣に見るだけの知恵はあったが、どの程度辛辣に見るべきかを判じる知恵はなかったということだ。

それまで20年以上にわたって、債券市場の複雑さは、ウォール街の債券トレーダーが顧客を欺くのを助けてきたが、今、その複雑さに導かれて、債券トレーダーが自分自身を欺こうとしていた。

ハブラーは自分自身の賭けには全くリスクがないと考えているようだった。懐を痛めることなく、わずかばかりの利息をかき集めている気になっていた。