資産運用 Lab.

第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点(前編)

 

ノーベル経済学賞を受賞したそのモデルはしかし、オプションの期間が長くなればなるほど、結論の不合理性が増す。それに気がついた第三のグループが登場

 

 

要約

2006年の秋時点で、グレッグ・リップマンは既に個人的におよそ250人の大口投資家に、ドイツ銀行の販売会議や電話会議でさらに数百人ほどの相手に、自説を披露していた。

2006年末までには、CDSに関する営業成績の報告書を出したヘッジファンドが13,675あった。

その多くにリップマンの売り口上が影響していたが、それでも、サブプライム・モーゲージ債に対するCDSを扱う新しい市場に手を出したのは100人程度に過ぎなかった。その大半が、下がる方にかけるのではなく、“ヘッジ”として、サブプライム・モーゲージ債に掛けられた保険を購入しており、サブプライム・モーゲージ市場全体、ひいては世界的な金融システムが破綻する方に賭ける人間はごく少数だった。

 

その中でも飛び抜けて多額の資金を動かしていたのが、ジョン・ポールスンだった。

ポールスンが驚いたのは現物の債券をショート(空売り)するよりも、CDSを購入する方が手間も資金もはるかに少なくて済むということだった。「CDSを購入する投資法の美点は、損失の上限が決まっているということです。非対称の賭けということになります」

 

そしてもう一人、ウォール街がいちばん起こりそうにないと思っていること(金融システムの破綻)に賭ける変わり者がいた。それがチャーリー・レドリーだった。

チャーリーは、市場は急激な変化の起こる可能性を低く見積もりがちであるということを知っており、もっとも起こりそうにないことを探し出し、それが起こる方に賭けることが、ウォール街で稼ぐ最善の方法だと考えていた。チャーリーはその方法を何度も実践し、何度も成功を収めていた。

 

 

分野をまたぐ発想

2003年始め、ジェイミー・マイとチャーリー・レドリーがカリフォルニア州バークレーの友人宅裏にある小屋で事業を始めた。社名はコーンウォール・キャピタル・マネジメント。

二人ともニューヨークにある非公開株(プライベート・エクイティ)ファンドでデスクワーク専門の助手をしばらく務めたことがあったものの、実際の投資判断に携わった経験はなかった。

 

金も信頼性もなかったが、金融市場に関するひとつの考えはあった。

非公開株(プライベート・エクイティ)事業に携わっているあいだに、二人は非公開株の市場は公開株の市場より効率性が高いのではないかと思うようになった。「非公開株の取引では、たいてい、両方の側に熟練したアドバイザーがいます。ものの基本的な価値の知らない人間が入り込む余地はない。公開株市場の人間は、営業基盤よりも四半期の利益に重きを置いたりします。ありとあらゆる常識外の理由に基づいて行動する人たちがいるのです」

 

さらに、二人は、公開株や債券を扱う金融市場には対極に関心を持つ投資家がいないように感じていた。

アメリカの株式市場にいる人間は、アメリカの株式市場の範囲内で判断を下し、日本の債券市場の人間は、日本の債券市場の範囲内で判断を下す。

「金融に限った問題じゃないと思います。そういう偏狭さは現代の知的生活の共通項になっているようです。分野をまたぐ大きな発想がないんですよ」

 

コーンウォール・キャピタルは市場の非効率性を追求するばかりでなく、それを世界的な規模であらゆる市場で追求する。

あまり単純とは言えなかったこの2つの目標に、もっと単純でない3つ目が付け加えられる。そのきっかけとなったのが、クレジットカード会社のキャピタル・ワン・ファイナンシャルとの出会いだった。

 

キャピタル・ワンは巧妙な手立てを使って、信用度の低いアメリカ人に金を貸しているらしい珍種の金融業者だった。この会社は1990年代から2000年代にかけて、サブプライム・クレジットカード利用者の信用度の分析と、その利用者に貸し付けた場合のリスク測定にかけて、他社より優れたノウハウを持っていると見栄を切り、市場もその言葉を信用していた。

1990年代後半、業界が不審にあえぎ、競合相手が何者も破綻していった時期をも乗り切った。

ところが2002年7月に同社経営陣が自発的にサブプライムがらみの損失に備え、当社が資本をどれだけ手当てする必要があるか、目下、貯蓄金融監督局及び連邦政府準備銀行と討議中であると発表し、株価が2日間で60%も下落した。

市場はにわかに、キャピタル・ワンという会社は、ローンの組み方が上手いのではなく、損失を隠すことに長けているのではないかという不安に駆られた。

それから6ヶ月間、キャピタル・ワンは目覚ましい勢いで収益を上げ続けた。規制当局の動きは恣意的で、特に損失は出ていないと強調したが、それでも株価は低迷したままだった。
チャーリーとジェイミーはこの件をつぶさに調べた。二人が出した結論は、キャピタル・ワンは本当に他社より優れたノウハウがあったのだろうというものだった。サブプライム・モーゲージを担当する副社長とも面談をし、規制当局との討議は取るに足らないことで、同社は基本的に誠実な企業だという印象を持った。

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


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第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点(前編)

 

ノーベル経済学賞を受賞したそのモデルはしかし、オプションの期間が長くなればなるほど、結論の不合理性が増す。それに気がついた第三のグループが登場

 

 

要約

2006年の秋時点で、グレッグ・リップマンは既に個人的におよそ250人の大口投資家に、ドイツ銀行の販売会議や電話会議でさらに数百人ほどの相手に、自説を披露していた。

2006年末までには、CDSに関する営業成績の報告書を出したヘッジファンドが13,675あった。

その多くにリップマンの売り口上が影響していたが、それでも、サブプライム・モーゲージ債に対するCDSを扱う新しい市場に手を出したのは100人程度に過ぎなかった。その大半が、下がる方にかけるのではなく、“ヘッジ”として、サブプライム・モーゲージ債に掛けられた保険を購入しており、サブプライム・モーゲージ市場全体、ひいては世界的な金融システムが破綻する方に賭ける人間はごく少数だった。

 

その中でも飛び抜けて多額の資金を動かしていたのが、ジョン・ポールスンだった。

ポールスンが驚いたのは現物の債券をショート(空売り)するよりも、CDSを購入する方が手間も資金もはるかに少なくて済むということだった。「CDSを購入する投資法の美点は、損失の上限が決まっているということです。非対称の賭けということになります」

 

そしてもう一人、ウォール街がいちばん起こりそうにないと思っていること(金融システムの破綻)に賭ける変わり者がいた。それがチャーリー・レドリーだった。

チャーリーは、市場は急激な変化の起こる可能性を低く見積もりがちであるということを知っており、もっとも起こりそうにないことを探し出し、それが起こる方に賭けることが、ウォール街で稼ぐ最善の方法だと考えていた。チャーリーはその方法を何度も実践し、何度も成功を収めていた。

 

 

分野をまたぐ発想

2003年始め、ジェイミー・マイとチャーリー・レドリーがカリフォルニア州バークレーの友人宅裏にある小屋で事業を始めた。社名はコーンウォール・キャピタル・マネジメント。

二人ともニューヨークにある非公開株(プライベート・エクイティ)ファンドでデスクワーク専門の助手をしばらく務めたことがあったものの、実際の投資判断に携わった経験はなかった。

 

金も信頼性もなかったが、金融市場に関するひとつの考えはあった。

非公開株(プライベート・エクイティ)事業に携わっているあいだに、二人は非公開株の市場は公開株の市場より効率性が高いのではないかと思うようになった。「非公開株の取引では、たいてい、両方の側に熟練したアドバイザーがいます。ものの基本的な価値の知らない人間が入り込む余地はない。公開株市場の人間は、営業基盤よりも四半期の利益に重きを置いたりします。ありとあらゆる常識外の理由に基づいて行動する人たちがいるのです」

 

さらに、二人は、公開株や債券を扱う金融市場には対極に関心を持つ投資家がいないように感じていた。

アメリカの株式市場にいる人間は、アメリカの株式市場の範囲内で判断を下し、日本の債券市場の人間は、日本の債券市場の範囲内で判断を下す。

「金融に限った問題じゃないと思います。そういう偏狭さは現代の知的生活の共通項になっているようです。分野をまたぐ大きな発想がないんですよ」

 

コーンウォール・キャピタルは市場の非効率性を追求するばかりでなく、それを世界的な規模であらゆる市場で追求する。

あまり単純とは言えなかったこの2つの目標に、もっと単純でない3つ目が付け加えられる。そのきっかけとなったのが、クレジットカード会社のキャピタル・ワン・ファイナンシャルとの出会いだった。

 

キャピタル・ワンは巧妙な手立てを使って、信用度の低いアメリカ人に金を貸しているらしい珍種の金融業者だった。この会社は1990年代から2000年代にかけて、サブプライム・クレジットカード利用者の信用度の分析と、その利用者に貸し付けた場合のリスク測定にかけて、他社より優れたノウハウを持っていると見栄を切り、市場もその言葉を信用していた。

1990年代後半、業界が不審にあえぎ、競合相手が何者も破綻していった時期をも乗り切った。

ところが2002年7月に同社経営陣が自発的にサブプライムがらみの損失に備え、当社が資本をどれだけ手当てする必要があるか、目下、貯蓄金融監督局及び連邦政府準備銀行と討議中であると発表し、株価が2日間で60%も下落した。

市場はにわかに、キャピタル・ワンという会社は、ローンの組み方が上手いのではなく、損失を隠すことに長けているのではないかという不安に駆られた。

それから6ヶ月間、キャピタル・ワンは目覚ましい勢いで収益を上げ続けた。規制当局の動きは恣意的で、特に損失は出ていないと強調したが、それでも株価は低迷したままだった。
チャーリーとジェイミーはこの件をつぶさに調べた。二人が出した結論は、キャピタル・ワンは本当に他社より優れたノウハウがあったのだろうというものだった。サブプライム・モーゲージを担当する副社長とも面談をし、規制当局との討議は取るに足らないことで、同社は基本的に誠実な企業だという印象を持った。