資産運用 Lab.

第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点(後編)

要約

 

長期オプションに目をつける

キャピタル・ワンと規制当局が揉めているというニュースが流れてから、半年のあいだ、同社の株価は1株30ドル前後でほとんど変動していなかった。しかし、30ドルという株価は明らかにキャピタル・ワンの“適正な”値段ではない。同社が本当に詐欺集団であれば、株価はおそらく0になり、反対に誠実な集団であれば1株60ドル前後になるはずだ。

 

ジェイミーはジョエル・グリーンブラットの著作『あなたも株式市場の天才になれる』を読んだばかりだった。その巻末近くに、デリバティブ証券のLEAPS(長期株式予測証券)で巨額の金を稼いだ経緯が記されていた。

LEAPSの買い手には、ある一定期間、株を固定価格で買う権利が譲渡される。それを読んで、ジェイミーの頭に考えがひらめいた。キャピタル・ワンの株を買うために、長期オプションを買えばいいのだ。

 

キャピタル・ワンの株をこの先2年半、いつでも1株40ドルで買える権利が3ドル強で手に入る。べらぼうな話だ。

キャピタル・ワンと規制当局との問題は、どちらに転んでも、数ヶ月あれば答えが出るだろう。解決すれば、株価は0に暴落するか60ドルに跳ね上がるかのどちらかになる。

その点をもう少し調べたジェイミーは、ウォール街がLEAPSの価格設定に使っているモデル、ブラック=ショールズのオプション価格設定モデルが、どうもおかしな仮定に基づいているということに気がついた。

 

例えば、将来の株価が通常の「ベル型分布」になるという仮定だ。これによれば、キャピタル・ワンが1株30ドルでトレードを行う場合、株価は向こう2年のうちに、40ドルになるよりも35ドルになる公算の方が高く、45ドルになるよりも40ドルになる公算の方が高いということになる。

その仮定は、当の企業のことを何も知らない人間にしか通用しない。今回の場合、完全に的外れだ。キャピタル・ワンの株価が動くとすれば、小さく動くより大きく動く公算の方が高かった。

 

コーンウォール・キャピタルは即座に8,000のLEAPSを買った。見込み損失は最大でもオプションの購入代金26,000ドルで、見込み利益は理屈から言えば無限だった。ほどなく、規制当局がキャピタル・ワンの潔白を証明して、株価が急騰した。コーンウォール・キャピタルのオプションの持ち高26,000ドルは526,000ドルの価値になった。

 

それがあっという間に、とてつもなく収益性の高い戦略となった。まずは、価格が激しく変動しそうなものを選んで、それを売買できるオプションの中から、安いと思えるものを選んだ後、今度はそのオプションで売買できるものに戻る、というやり方だ。

二人は、人々が、ひいては市場が、極めて確度の低い出来事を不当に高い確度で、あるいはさらに低い確度で想定しがちだと感じていた。

韓国株や第三世界の通貨のことなどまったく知らなかったが、知識は必要なかった。どんな有価証券でも小額の元手で価格変動に賭けられそうなものを見つけた時には、専門家を雇って細かい点を解説して貰えばよい。

 

ウォール街が数兆ドル分のデリバティブの価格設定に使っていたモデルは、金融界を連続性のある秩序正しい工程とみなしていた。しかし、実際は、非連続的な変化が、それもしばしば偶然に起こる場所なのである。

 

 

大手投資銀行が相手にしてくれない

2006年前半、すでにコーンウォール・キャピタルは虎の子を3,000万ドル近くまで育て上げていたが、それでも、CDSを扱うウォール街のトレーディング・デスクから見ると、吹けば飛ぶような端た金だった。

どこの大手投資銀行も一切相手にしてくれなかったが、ベン(ジェイミーの隣人で元ドイツ銀行所属。犬の散歩の途中で口説き落とした)がどうにかドイツ銀行の“機関投資家基準”に沿う企業だと認めさせた。20億ドルを管理できる投資責任者がいなければ、機関投資家と認めてくれない銀行なのにもかかわらず…

 

 

ドイツ銀行きたる

3人は早急な判断を迫られていた。リップマンの売り口上は魅力的であると同時に、耳慣れないものだった。コーンウォール・キャピタルはモーゲージ債を買ったこと売ったこともなかったが、CDSが実質的な金融オプションであることは一目瞭然だ。

僅かなプレミアムを支払えば、十分な数のサブプライムの借り手が債務を果たせなかった場合に、大金が転がり込んでくる。

「トレードの概要を眺めていて、こんなうまい話があっていいのかと思いました。トリプルBに対するCDSをこの値段で買えるわけがないだろう、と…。ほんとに、ばかばかしいほどの低価格で、わけがわかりませんでしたね」

 

 

上階の崩壊に賭ける

チャーリーとジェイミーとベンは、すでにマイケル・バーリやスティーヴ・アイズマンがやっていたように、最劣等のサブプライム債をみつけて、それが焦げつく方にかけようと、サブプライム・モーゲージ市場に足を踏み入れた。

しかし、その後で3人が取った行動は、サブプライム市場が下がる方に賭けた他の人々とは全く違っていて、最終的には他の誰よりも大きな収益をあげることになる。それはCDOの上階層(ダブルAのトランシュ)が下落する方に賭けるということだった。

 

3人の目には、CDOは単なるトリプルBのモーゲージ債の山にしか見えなかった。ウォール街の投資銀行が格付け機関とグルになって、その山を多様な資産の集合体に見せかけていたが、見識を持つ人間なら、ある経済的な力がその山全体に等しく影響を及ぼすことも、トリプルBのサブプライム・モーゲージがひとつ焦げつけば、その山のほとんどが焦げつくことも察しがつく。たとえ、どんな格付けを身にまとっていようと、トリプルBの債券でこしらえたCDOはどれも完全に消え去ることになる。

 

加えて市場は、自ら考案したうそを信じているらしかった。CDOのうち、安全とされるダブルAの一片に掛けた保険の方を、見るからにリスクの高いトリプルBに掛けた保険より、はるかに安く設定していたのだ。

ダブルAとされた債券が下げる方に賭けるには年0.5%の支払いで済むのに、トリプルBとされた方に賭けるには年2%も必要だった。賭けの内容はどちらも、同じ場合、その賭けに4分の1の金額で参加できるのなら、同じ元手で4倍の賭けを行うことができた。

 

2006年10月16日、3人はグレッグ・リップマンが仕切るトレーディング・デスクから、由来の定かでないCDOのダブルAのトラッシュに対するCDSを750万ドル分購入した。4日後には、ベアー・スターンズからさらに5,000万ドル分を手に入れた。

 

俺たちの頭のネジがはずれているんじゃないか?

 

チャーリーとジェイミーは、狂っているとしか思えないこの新しい市場のことを説明してくれる人間を探していた。1ヶ月後、ようやくその市場の専門家であるデイヴィッド・バートという人物に白羽の矢を立て、雇い入れた。

3人は下げる方に賭けたCDOのリストをバートに私意見を求めた。

数週間後、バートの分析結果を見て、3人は驚き、同じくらいバートも驚いた。3人の選択は見事に的を射ていたのだ。

「ここに並んでいるCDOの中には、正真正銘くず債券がたんまり詰まっているぞ」

 

ある日ベアー・スターンズのセールスマンがラスヴェガスで年に一度行われる大規模な懇談会のことを教えてくれた。サブプライム・モーゲージ市場のお偉方が勢ぞろいする催しだ。

チャーリーはベンとともにラスヴェガスに飛んだ。サブプライム・モーゲージ市場が下げる方に賭けるのがなぜ“間違っている”のか、その理由を説明してくれる人間がいるかどうかを確かめるために。

 

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

第五章 ブラック=ショールズ方程式の盲点(後編)

要約

 

長期オプションに目をつける

キャピタル・ワンと規制当局が揉めているというニュースが流れてから、半年のあいだ、同社の株価は1株30ドル前後でほとんど変動していなかった。しかし、30ドルという株価は明らかにキャピタル・ワンの“適正な”値段ではない。同社が本当に詐欺集団であれば、株価はおそらく0になり、反対に誠実な集団であれば1株60ドル前後になるはずだ。

 

ジェイミーはジョエル・グリーンブラットの著作『あなたも株式市場の天才になれる』を読んだばかりだった。その巻末近くに、デリバティブ証券のLEAPS(長期株式予測証券)で巨額の金を稼いだ経緯が記されていた。

LEAPSの買い手には、ある一定期間、株を固定価格で買う権利が譲渡される。それを読んで、ジェイミーの頭に考えがひらめいた。キャピタル・ワンの株を買うために、長期オプションを買えばいいのだ。

 

キャピタル・ワンの株をこの先2年半、いつでも1株40ドルで買える権利が3ドル強で手に入る。べらぼうな話だ。

キャピタル・ワンと規制当局との問題は、どちらに転んでも、数ヶ月あれば答えが出るだろう。解決すれば、株価は0に暴落するか60ドルに跳ね上がるかのどちらかになる。

その点をもう少し調べたジェイミーは、ウォール街がLEAPSの価格設定に使っているモデル、ブラック=ショールズのオプション価格設定モデルが、どうもおかしな仮定に基づいているということに気がついた。

 

例えば、将来の株価が通常の「ベル型分布」になるという仮定だ。これによれば、キャピタル・ワンが1株30ドルでトレードを行う場合、株価は向こう2年のうちに、40ドルになるよりも35ドルになる公算の方が高く、45ドルになるよりも40ドルになる公算の方が高いということになる。

その仮定は、当の企業のことを何も知らない人間にしか通用しない。今回の場合、完全に的外れだ。キャピタル・ワンの株価が動くとすれば、小さく動くより大きく動く公算の方が高かった。

 

コーンウォール・キャピタルは即座に8,000のLEAPSを買った。見込み損失は最大でもオプションの購入代金26,000ドルで、見込み利益は理屈から言えば無限だった。ほどなく、規制当局がキャピタル・ワンの潔白を証明して、株価が急騰した。コーンウォール・キャピタルのオプションの持ち高26,000ドルは526,000ドルの価値になった。

 

それがあっという間に、とてつもなく収益性の高い戦略となった。まずは、価格が激しく変動しそうなものを選んで、それを売買できるオプションの中から、安いと思えるものを選んだ後、今度はそのオプションで売買できるものに戻る、というやり方だ。

二人は、人々が、ひいては市場が、極めて確度の低い出来事を不当に高い確度で、あるいはさらに低い確度で想定しがちだと感じていた。

韓国株や第三世界の通貨のことなどまったく知らなかったが、知識は必要なかった。どんな有価証券でも小額の元手で価格変動に賭けられそうなものを見つけた時には、専門家を雇って細かい点を解説して貰えばよい。

 

ウォール街が数兆ドル分のデリバティブの価格設定に使っていたモデルは、金融界を連続性のある秩序正しい工程とみなしていた。しかし、実際は、非連続的な変化が、それもしばしば偶然に起こる場所なのである。

 

 

大手投資銀行が相手にしてくれない

2006年前半、すでにコーンウォール・キャピタルは虎の子を3,000万ドル近くまで育て上げていたが、それでも、CDSを扱うウォール街のトレーディング・デスクから見ると、吹けば飛ぶような端た金だった。

どこの大手投資銀行も一切相手にしてくれなかったが、ベン(ジェイミーの隣人で元ドイツ銀行所属。犬の散歩の途中で口説き落とした)がどうにかドイツ銀行の“機関投資家基準”に沿う企業だと認めさせた。20億ドルを管理できる投資責任者がいなければ、機関投資家と認めてくれない銀行なのにもかかわらず…

 

 

ドイツ銀行きたる

3人は早急な判断を迫られていた。リップマンの売り口上は魅力的であると同時に、耳慣れないものだった。コーンウォール・キャピタルはモーゲージ債を買ったこと売ったこともなかったが、CDSが実質的な金融オプションであることは一目瞭然だ。

僅かなプレミアムを支払えば、十分な数のサブプライムの借り手が債務を果たせなかった場合に、大金が転がり込んでくる。

「トレードの概要を眺めていて、こんなうまい話があっていいのかと思いました。トリプルBに対するCDSをこの値段で買えるわけがないだろう、と…。ほんとに、ばかばかしいほどの低価格で、わけがわかりませんでしたね」

 

 

上階の崩壊に賭ける

チャーリーとジェイミーとベンは、すでにマイケル・バーリやスティーヴ・アイズマンがやっていたように、最劣等のサブプライム債をみつけて、それが焦げつく方にかけようと、サブプライム・モーゲージ市場に足を踏み入れた。

しかし、その後で3人が取った行動は、サブプライム市場が下がる方に賭けた他の人々とは全く違っていて、最終的には他の誰よりも大きな収益をあげることになる。それはCDOの上階層(ダブルAのトランシュ)が下落する方に賭けるということだった。

 

3人の目には、CDOは単なるトリプルBのモーゲージ債の山にしか見えなかった。ウォール街の投資銀行が格付け機関とグルになって、その山を多様な資産の集合体に見せかけていたが、見識を持つ人間なら、ある経済的な力がその山全体に等しく影響を及ぼすことも、トリプルBのサブプライム・モーゲージがひとつ焦げつけば、その山のほとんどが焦げつくことも察しがつく。たとえ、どんな格付けを身にまとっていようと、トリプルBの債券でこしらえたCDOはどれも完全に消え去ることになる。

 

加えて市場は、自ら考案したうそを信じているらしかった。CDOのうち、安全とされるダブルAの一片に掛けた保険の方を、見るからにリスクの高いトリプルBに掛けた保険より、はるかに安く設定していたのだ。

ダブルAとされた債券が下げる方に賭けるには年0.5%の支払いで済むのに、トリプルBとされた方に賭けるには年2%も必要だった。賭けの内容はどちらも、同じ場合、その賭けに4分の1の金額で参加できるのなら、同じ元手で4倍の賭けを行うことができた。

 

2006年10月16日、3人はグレッグ・リップマンが仕切るトレーディング・デスクから、由来の定かでないCDOのダブルAのトラッシュに対するCDSを750万ドル分購入した。4日後には、ベアー・スターンズからさらに5,000万ドル分を手に入れた。

 

俺たちの頭のネジがはずれているんじゃないか?

 

チャーリーとジェイミーは、狂っているとしか思えないこの新しい市場のことを説明してくれる人間を探していた。1ヶ月後、ようやくその市場の専門家であるデイヴィッド・バートという人物に白羽の矢を立て、雇い入れた。

3人は下げる方に賭けたCDOのリストをバートに私意見を求めた。

数週間後、バートの分析結果を見て、3人は驚き、同じくらいバートも驚いた。3人の選択は見事に的を射ていたのだ。

「ここに並んでいるCDOの中には、正真正銘くず債券がたんまり詰まっているぞ」

 

ある日ベアー・スターンズのセールスマンがラスヴェガスで年に一度行われる大規模な懇談会のことを教えてくれた。サブプライム・モーゲージ市場のお偉方が勢ぞろいする催しだ。

チャーリーはベンとともにラスヴェガスに飛んだ。サブプライム・モーゲージ市場が下げる方に賭けるのがなぜ“間違っている”のか、その理由を説明してくれる人間がいるかどうかを確かめるために。