資産運用 Lab.

第3章 人格偽装

要約

著者によれば、村上は人格の偽装をしていた、とのこと。彼の設立したファンドを成功に導くため、村上はある事無い事をでっちあげ、自分自身の人格を作り出していたのだ、というのが著者の見立て。

 

具体的なエピソードは、以下の通り。

 

1.「私はプロ中のプロである」という発言

村上は、2006年6月5日の記者会見において、「プロ中のプロである自分がうっかりミスをしてしまった」という発言を何度もした。

何のプロであるかは明言されていなかったが、テレビ越しにこの会見を見た多くの日本人は、村上のことを「金融のプロ」であると認識した。

実際には村上は金融のプロなどではなく、彼は「法解釈のプロ」に過ぎないというのが著者の主張。だからこそ村上は違法性が高くとも立証しにくい線を巧みにつくことが出来た。彼は、この曖昧な表現によって、会見を通じて自分が金融のプロであるという人格を作り出し、偽装した。これが著者の考えである。

 

 

2. 「小学校の時に株式投資をしていた」という発言

村上は小学校の時に父親から100万円を譲り受け、それを元手に株式投資を始めたという話をたびたび持ち出す。村上によれば、小学校の時から持っていた同和鉱業の株式とサッポロビールの株式によりある程度の額を稼いだ、とのことである。

しかし、彼が稼いだと主張する期間におけるこれら2銘柄の株価の推移から判断するに、彼が主張しているような利益は得られないはずである。

よって、村上によるこのストーリーは完全なでっち上げであり、彼はこれにより幼少期から金融に接していたというようなイメージを作り出したかったのだ、というのが著者の意見。

 

 

3. 「愛読書は四季報」という発言

村上は小学生の時から四季報を愛読していたという話をする。しかし、村上の小学校の同級生である人物からの聴取内容を元にすれば「村上の口からそんな話は聞いたことがない」とのこと。

さらに、村上は「小学校の時に自分の机の上には“場違いに分厚い”四季報が常に置かれていた」と語っているが、実際には四季報は村上が小学生の時には掲載企業数が少なく、今ほど分厚くなかったという。

これらの矛盾から、著者はこの村上の四季報に関するストーリーも完全なる作り話であると指摘する。

 

 

4. 「村上は、近くの寺の住職に、タケノコを持ってくる」というストーリー

村上のプライベートが語られるに際しよく出てくる話の1つに、彼の実家近くにある法案時南坊というお寺のエピードがある。

そこの住職によれば、村上は幼少期から、5月になるとこの寺を訪れ自分で掘ったタケノコを湯がいて持ってくるという。

この話自体は寺の住職がしていることなので特に矛盾点も見当たらないが、このような話を持ち出してくる時点で自然愛好家というイメージを与えようという浅はかな意図が透けてみえるようだ、というのが著者の主張。

 

 

以上、1.〜4.のエピソードを掘り下げることで、著者はとにかく村上が自分の人格を偽っているということを頻りに説く。著者によれば、村上は道徳の欠如した犯罪者以外の何者でもない。

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


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第3章 人格偽装

要約

著者によれば、村上は人格の偽装をしていた、とのこと。彼の設立したファンドを成功に導くため、村上はある事無い事をでっちあげ、自分自身の人格を作り出していたのだ、というのが著者の見立て。

 

具体的なエピソードは、以下の通り。

 

1.「私はプロ中のプロである」という発言

村上は、2006年6月5日の記者会見において、「プロ中のプロである自分がうっかりミスをしてしまった」という発言を何度もした。

何のプロであるかは明言されていなかったが、テレビ越しにこの会見を見た多くの日本人は、村上のことを「金融のプロ」であると認識した。

実際には村上は金融のプロなどではなく、彼は「法解釈のプロ」に過ぎないというのが著者の主張。だからこそ村上は違法性が高くとも立証しにくい線を巧みにつくことが出来た。彼は、この曖昧な表現によって、会見を通じて自分が金融のプロであるという人格を作り出し、偽装した。これが著者の考えである。

 

 

2. 「小学校の時に株式投資をしていた」という発言

村上は小学校の時に父親から100万円を譲り受け、それを元手に株式投資を始めたという話をたびたび持ち出す。村上によれば、小学校の時から持っていた同和鉱業の株式とサッポロビールの株式によりある程度の額を稼いだ、とのことである。

しかし、彼が稼いだと主張する期間におけるこれら2銘柄の株価の推移から判断するに、彼が主張しているような利益は得られないはずである。

よって、村上によるこのストーリーは完全なでっち上げであり、彼はこれにより幼少期から金融に接していたというようなイメージを作り出したかったのだ、というのが著者の意見。

 

 

3. 「愛読書は四季報」という発言

村上は小学生の時から四季報を愛読していたという話をする。しかし、村上の小学校の同級生である人物からの聴取内容を元にすれば「村上の口からそんな話は聞いたことがない」とのこと。

さらに、村上は「小学校の時に自分の机の上には“場違いに分厚い”四季報が常に置かれていた」と語っているが、実際には四季報は村上が小学生の時には掲載企業数が少なく、今ほど分厚くなかったという。

これらの矛盾から、著者はこの村上の四季報に関するストーリーも完全なる作り話であると指摘する。

 

 

4. 「村上は、近くの寺の住職に、タケノコを持ってくる」というストーリー

村上のプライベートが語られるに際しよく出てくる話の1つに、彼の実家近くにある法案時南坊というお寺のエピードがある。

そこの住職によれば、村上は幼少期から、5月になるとこの寺を訪れ自分で掘ったタケノコを湯がいて持ってくるという。

この話自体は寺の住職がしていることなので特に矛盾点も見当たらないが、このような話を持ち出してくる時点で自然愛好家というイメージを与えようという浅はかな意図が透けてみえるようだ、というのが著者の主張。

 

 

以上、1.〜4.のエピソードを掘り下げることで、著者はとにかく村上が自分の人格を偽っているということを頻りに説く。著者によれば、村上は道徳の欠如した犯罪者以外の何者でもない。