資産運用 Lab.

第6章 変節

要約

本章では、村上ファンドの中期の動きについて書かれている。2002年12月頃から2004年6月頃に至るまでの経緯である。

著者によれば、初期の村上が「日本の為に」という初心を忘れず純粋な思いで活動していたのに対し、この中期の村上は「ファンド出資者の為に」という意識に支配されていったのだと言う。

総括としては、この頃も総じて案件として上手く成就したものが多くあったわけではなく運用成績はマーケット対比ではパッとしない。一方で、様々な外部要因によって特に海外マネーを中心に運用資金は増えていった。

 

 

事例1:東京スタイル、2戦目

2002年に引き続き、村上ファンドは2003年も東京スタイルにプロキシーファイトを仕掛けた。しかし今回は、自社株買いを求めるだけの地味な内容となった。

しかし、内容は地味であったものの2002年の敗北から多くを学んだ村上ファンドは見違えるように周到な準備をしてみせた。

2003年のプロキシーファイトでは、村上は争点を「マイカル関連債」「野村日本株戦略ファンド」「住友不動産株式」の三銘柄に絞り、これらの金融商品の購入で資産が毀損したことを指摘したばかりでなく、取締役会決議を経ずに社長の高野が独断で購入したと指摘。その一方で高野や高野の親族は大手証券会社から新規公開株をあてがわれるなどして個人資産を増やしているとまで追求した。

こうした経営トップに任せていては今後とも会社の余剰資金を無駄な有価証券につぎ込まれかねないとして、自社株取得による株主還元を求めたのである。

2002年とは理論武装の度合いが数段も上だった2003年のプロキシーファイトは、村上有利とみられて進んだ。接戦となったが、最終的には2.2%の僅差で村上ファンドが敗北した。プロキシーファイトには負けたが、実行力のあるアクティビストファンドとして、海外の投資家の間で村上ファンドの評価は日増しに高まっていった。

 

事例2:東京スタイル、株主代表訴訟

続く2003年には、東京スタイルの高野社長を相手取って株主代表訴訟を提起。高野が取締役会決議を経ずに購入した巨額の有価証券により、会社に73億円超え(訴訟時)の被害が会社に出ているとして高野個人が東京スタイルに10億円を損害賠償するよう求めた。

この裁判は2005年10月に和解が成立し、高野は東京スタイルに1億円の損害賠償をしている。

 

事例3:クレイフィッシュの有償減資

2003年6月20日、クレイフィッシュは、1株あたり140万円の有償減資を行うと発表した。

村上ファンドは、「かねてより我々が行ってきた提案だ」としてこれを歓迎した。村上ファンドの2003年6月時点での持ち株比率は15%を超えており、彼らは10億円のクレイフィッシュ株投資で18億円の利益を得た。

このクレイフィッシュ案件の成就は、東京スタイルとの争いで疲弊した村上ファンドの運用成績を大きく支えることとなった。

 

事例4:ニッポン放送への侵攻開始

東京圏中心のラジオ局でしかないニッポン放送が、全国区のテレビ放送網を有するフジテレビの親会社であり、ニッポン放送を買えばフジテレビがついてくるというのは証券界の人間にとっては常識であったが、マスコミを敵にした場合の反作用が読み切れず誰もニッポン放送の買収には手を出せないでいた。

クレイフィッシュ案件で運用成績の心配をしなくて済むようになった村上ファンドは、満を持してニッポン放送案件に着手。大量保有すべく取得を押し進めた。2003年6月末時点で、7.37%の株式を保有して大量保有報告書を提出し、その後2004年4月にはその比率を11.47%まで高めている。

尚、本案件の行く末は、後の章で説明される。

 

 

資金の大量流入

村上ファンドは、2つの外部要因により多くの運用資金を獲得することに成功した。

1つは、ITベンチャー社長の出資に象徴されるような個人富裕層の台頭である。1990年代後半の金融ビッグバンにより新興企業向けの株式市場、いわゆるベンチャー市場が開放され、上場しやすい環境が整うことで創業者利益を得るものが増えた。

もう1つは、世界的な資金余剰である。日・米・欧の同時金融緩和で流動性が世界的に高まり、多くは原油や銅といった資源やBRICs諸国の株式市場に向かったが、その一部は長期のデフレから脱却しつつある日本株に注目し流れて来たのである。

 

 

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


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第6章 変節

要約

本章では、村上ファンドの中期の動きについて書かれている。2002年12月頃から2004年6月頃に至るまでの経緯である。

著者によれば、初期の村上が「日本の為に」という初心を忘れず純粋な思いで活動していたのに対し、この中期の村上は「ファンド出資者の為に」という意識に支配されていったのだと言う。

総括としては、この頃も総じて案件として上手く成就したものが多くあったわけではなく運用成績はマーケット対比ではパッとしない。一方で、様々な外部要因によって特に海外マネーを中心に運用資金は増えていった。

 

 

事例1:東京スタイル、2戦目

2002年に引き続き、村上ファンドは2003年も東京スタイルにプロキシーファイトを仕掛けた。しかし今回は、自社株買いを求めるだけの地味な内容となった。

しかし、内容は地味であったものの2002年の敗北から多くを学んだ村上ファンドは見違えるように周到な準備をしてみせた。

2003年のプロキシーファイトでは、村上は争点を「マイカル関連債」「野村日本株戦略ファンド」「住友不動産株式」の三銘柄に絞り、これらの金融商品の購入で資産が毀損したことを指摘したばかりでなく、取締役会決議を経ずに社長の高野が独断で購入したと指摘。その一方で高野や高野の親族は大手証券会社から新規公開株をあてがわれるなどして個人資産を増やしているとまで追求した。

こうした経営トップに任せていては今後とも会社の余剰資金を無駄な有価証券につぎ込まれかねないとして、自社株取得による株主還元を求めたのである。

2002年とは理論武装の度合いが数段も上だった2003年のプロキシーファイトは、村上有利とみられて進んだ。接戦となったが、最終的には2.2%の僅差で村上ファンドが敗北した。プロキシーファイトには負けたが、実行力のあるアクティビストファンドとして、海外の投資家の間で村上ファンドの評価は日増しに高まっていった。

 

事例2:東京スタイル、株主代表訴訟

続く2003年には、東京スタイルの高野社長を相手取って株主代表訴訟を提起。高野が取締役会決議を経ずに購入した巨額の有価証券により、会社に73億円超え(訴訟時)の被害が会社に出ているとして高野個人が東京スタイルに10億円を損害賠償するよう求めた。

この裁判は2005年10月に和解が成立し、高野は東京スタイルに1億円の損害賠償をしている。

 

事例3:クレイフィッシュの有償減資

2003年6月20日、クレイフィッシュは、1株あたり140万円の有償減資を行うと発表した。

村上ファンドは、「かねてより我々が行ってきた提案だ」としてこれを歓迎した。村上ファンドの2003年6月時点での持ち株比率は15%を超えており、彼らは10億円のクレイフィッシュ株投資で18億円の利益を得た。

このクレイフィッシュ案件の成就は、東京スタイルとの争いで疲弊した村上ファンドの運用成績を大きく支えることとなった。

 

事例4:ニッポン放送への侵攻開始

東京圏中心のラジオ局でしかないニッポン放送が、全国区のテレビ放送網を有するフジテレビの親会社であり、ニッポン放送を買えばフジテレビがついてくるというのは証券界の人間にとっては常識であったが、マスコミを敵にした場合の反作用が読み切れず誰もニッポン放送の買収には手を出せないでいた。

クレイフィッシュ案件で運用成績の心配をしなくて済むようになった村上ファンドは、満を持してニッポン放送案件に着手。大量保有すべく取得を押し進めた。2003年6月末時点で、7.37%の株式を保有して大量保有報告書を提出し、その後2004年4月にはその比率を11.47%まで高めている。

尚、本案件の行く末は、後の章で説明される。

 

 

資金の大量流入

村上ファンドは、2つの外部要因により多くの運用資金を獲得することに成功した。

1つは、ITベンチャー社長の出資に象徴されるような個人富裕層の台頭である。1990年代後半の金融ビッグバンにより新興企業向けの株式市場、いわゆるベンチャー市場が開放され、上場しやすい環境が整うことで創業者利益を得るものが増えた。

もう1つは、世界的な資金余剰である。日・米・欧の同時金融緩和で流動性が世界的に高まり、多くは原油や銅といった資源やBRICs諸国の株式市場に向かったが、その一部は長期のデフレから脱却しつつある日本株に注目し流れて来たのである。