資産運用 Lab.

1. うそつきポーカー

要約

 

ソロモン・ブラザーズの元会長であるジョングッドフレンドは裕福な家庭に育ち、私立の寄宿生高校からオハイオ州にあるリベラルアーツ・カレッジ、オーバリン大学へと進学した。そこで英文学を学び、大学卒業後は大学で英文学の教鞭をとることを考えるが、縁あってソロモン・ブラザーズで働くことになる。ソロモン・ブラザーズでは、債券部門で頭角を現し、会長にまで至る。

 

そんなジョン・グッドフレンドの有名な言葉がある。

「一手、百万ドル、泣き言なし」

 

これは、部下の凄腕トレーダー、メリウェザーへの言葉で、うそつきポーカーと呼ばれるゲームで1回百万ドルの勝負をしようというものだ。

 

ソロモン・ブラザーズでは、ほぼ毎日午後六時になるとジョン・グッドフレンドと凄腕トレーダーであるメリウェザーやその部下はうそつきポーカーと呼ばれるゲームをしていた。うそつきポーカーは2人ないし10人のプレーヤーが輪を作る。各プレーヤーは胸の前に一ドル札を一枚ずつ隠し持つ。要領は「ダウト」と同じで各人の紙幣に印刷された通し番号で化かし合いをするのだ。ゲームは一人が値付け(ビッド)することから始まる。例えば「6が三つ」と言う。

これはつまり、自分の分を含めた全員の紙幣の通し番号に6という数字が三個以上含まれているという意味だ。この最初のビッドのあと、ゲームは時計回りに進められる。6が三つというビッドに対し、左隣のプレーヤーは2通りの応じ方がある。せり上げるか、異議申し立て(トランプでいうダウト宣言)をするかだ。せり上げ方にも2種類あって同じ個数で数字を大きくするか(7が三つ、8が三つ、9が三つ)、個数を増やすか(5が四つなど)である。

1人のプレーヤーのビッドに他の全員が異議申し立てをしたところで“せり”は終わる。そのときはじめて、全員の紙幣の通し番号が場にさらされ、誰が誰にはったりをかけていたかが判明するのだ。

 

投信銀行ではどこでもうそつきポーカーのようなゲームが行われているが、ソロモン・ブラザーズのトレーディングフロアは、掛け金の額において一頭地を抜いている。腕のあるトレーダーはこのゲームに強く、また逆も成り立つ。トレーダーたるものこの勝負をもちかけられて断ることはできないのだ。

 

このうそつきポーカーというゲームにおいてメリウェザーはソロモン・ブラザーズ、トレーディングフロアのチャンピオンであった。それはジョン・グッドフレンドを含めても同じである。ゲームの腕はメリウェザーの方が上だが、1回きりの勝負では分からない。立場的に断りにくいうえに、勝ってもグッドフレンドの機嫌を損ねる、負けても百万ドルが出ていく。良いことは何もない。

 

1986年のある日、ジョン・グッドフレンドはメリウェザーの机にまっすぐ歩いていき囁いた。

「一手、百万ドル、泣き言なし」

 

メリウェザーの返答はこうだ。

「だめだね、ジョン」

 

彼は言った。

「差しで勝負をしようというんなら、もっとでっかく賭けなきゃ意味がない。一千万ドル、泣き言なし、だ。」

 

 

 

補足情報

 

投資銀行とは

投資銀行は一言でいうと「証券会社」のことで、その仕事はお金を必要な人とお金を投資したい人の仲介業務です。企業や国家などのお金を必要な人が、投資家からお金を集めるために直接株や債券などの証券を販売する方法(直接金融)がありますが、その仲介をすることで販売手数料をとります。

投資銀行には、主に二つの機能があり、一つは、お金を必要な人の為に、資金調達方法を一緒に考える機能(プライマリーマーケット)。もう一つは、お金を投資したい人に、彼ら投資家が持っている証券を売買したり、お金を必要な人が発行した証券を売ったり、リサーチを提供したりする機能です(セカンダリーマーケット)。

前者を担当するのが「投資銀行部(IBD, Investment Banking Division)」で、後者を担当するのが、株式部(Equities)、債券部(FID, Fixed Income Division)、株式調査部(Equity Research)などのいわゆるセカンダリーマーケットサイドとなります。

 

 

ソロモン・ブラザーズの歴史

1910年に設立されましたが、設立当初は債券取引などをメイン業務としており投資銀行としての色合いは薄かったです。

1970年代に入り、「クオンツ」と呼ばれる数理学者や数理モデルを用いたトレード手法をいち早く導入することで投資銀行として大きく成長していきました。

1980年代も順調に成長を続けましたが、それを支えたのはあの有名なトレーダー、ジョン・メリウェザー率いる債券アービトラージ部門でした。

1985年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に「ウォール街の帝王」と書き立てられるアメリカを代表する投資銀行となりました。

しかし、1991年に米国国債の不正入札が発覚するなどの不祥事をきっかけに、様々なスキャンダルに見舞われ「ウォール街の帝王」としての信用を失うこととなりました。

その後、1987年にはウォーレン・バフェットに経営再建をゆだねることになりました。

1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収され、トラベラーズ傘下の投資銀行であるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併してソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney)となりました。さらに、その翌年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグループとなり、その結果現在はシティ傘下のブランドとなっています。

 

 

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

1. うそつきポーカー

要約

 

ソロモン・ブラザーズの元会長であるジョングッドフレンドは裕福な家庭に育ち、私立の寄宿生高校からオハイオ州にあるリベラルアーツ・カレッジ、オーバリン大学へと進学した。そこで英文学を学び、大学卒業後は大学で英文学の教鞭をとることを考えるが、縁あってソロモン・ブラザーズで働くことになる。ソロモン・ブラザーズでは、債券部門で頭角を現し、会長にまで至る。

 

そんなジョン・グッドフレンドの有名な言葉がある。

「一手、百万ドル、泣き言なし」

 

これは、部下の凄腕トレーダー、メリウェザーへの言葉で、うそつきポーカーと呼ばれるゲームで1回百万ドルの勝負をしようというものだ。

 

ソロモン・ブラザーズでは、ほぼ毎日午後六時になるとジョン・グッドフレンドと凄腕トレーダーであるメリウェザーやその部下はうそつきポーカーと呼ばれるゲームをしていた。うそつきポーカーは2人ないし10人のプレーヤーが輪を作る。各プレーヤーは胸の前に一ドル札を一枚ずつ隠し持つ。要領は「ダウト」と同じで各人の紙幣に印刷された通し番号で化かし合いをするのだ。ゲームは一人が値付け(ビッド)することから始まる。例えば「6が三つ」と言う。

これはつまり、自分の分を含めた全員の紙幣の通し番号に6という数字が三個以上含まれているという意味だ。この最初のビッドのあと、ゲームは時計回りに進められる。6が三つというビッドに対し、左隣のプレーヤーは2通りの応じ方がある。せり上げるか、異議申し立て(トランプでいうダウト宣言)をするかだ。せり上げ方にも2種類あって同じ個数で数字を大きくするか(7が三つ、8が三つ、9が三つ)、個数を増やすか(5が四つなど)である。

1人のプレーヤーのビッドに他の全員が異議申し立てをしたところで“せり”は終わる。そのときはじめて、全員の紙幣の通し番号が場にさらされ、誰が誰にはったりをかけていたかが判明するのだ。

 

投信銀行ではどこでもうそつきポーカーのようなゲームが行われているが、ソロモン・ブラザーズのトレーディングフロアは、掛け金の額において一頭地を抜いている。腕のあるトレーダーはこのゲームに強く、また逆も成り立つ。トレーダーたるものこの勝負をもちかけられて断ることはできないのだ。

 

このうそつきポーカーというゲームにおいてメリウェザーはソロモン・ブラザーズ、トレーディングフロアのチャンピオンであった。それはジョン・グッドフレンドを含めても同じである。ゲームの腕はメリウェザーの方が上だが、1回きりの勝負では分からない。立場的に断りにくいうえに、勝ってもグッドフレンドの機嫌を損ねる、負けても百万ドルが出ていく。良いことは何もない。

 

1986年のある日、ジョン・グッドフレンドはメリウェザーの机にまっすぐ歩いていき囁いた。

「一手、百万ドル、泣き言なし」

 

メリウェザーの返答はこうだ。

「だめだね、ジョン」

 

彼は言った。

「差しで勝負をしようというんなら、もっとでっかく賭けなきゃ意味がない。一千万ドル、泣き言なし、だ。」

 

 

 

補足情報

 

投資銀行とは

投資銀行は一言でいうと「証券会社」のことで、その仕事はお金を必要な人とお金を投資したい人の仲介業務です。企業や国家などのお金を必要な人が、投資家からお金を集めるために直接株や債券などの証券を販売する方法(直接金融)がありますが、その仲介をすることで販売手数料をとります。

投資銀行には、主に二つの機能があり、一つは、お金を必要な人の為に、資金調達方法を一緒に考える機能(プライマリーマーケット)。もう一つは、お金を投資したい人に、彼ら投資家が持っている証券を売買したり、お金を必要な人が発行した証券を売ったり、リサーチを提供したりする機能です(セカンダリーマーケット)。

前者を担当するのが「投資銀行部(IBD, Investment Banking Division)」で、後者を担当するのが、株式部(Equities)、債券部(FID, Fixed Income Division)、株式調査部(Equity Research)などのいわゆるセカンダリーマーケットサイドとなります。

 

 

ソロモン・ブラザーズの歴史

1910年に設立されましたが、設立当初は債券取引などをメイン業務としており投資銀行としての色合いは薄かったです。

1970年代に入り、「クオンツ」と呼ばれる数理学者や数理モデルを用いたトレード手法をいち早く導入することで投資銀行として大きく成長していきました。

1980年代も順調に成長を続けましたが、それを支えたのはあの有名なトレーダー、ジョン・メリウェザー率いる債券アービトラージ部門でした。

1985年にはウォール・ストリート・ジャーナル紙に「ウォール街の帝王」と書き立てられるアメリカを代表する投資銀行となりました。

しかし、1991年に米国国債の不正入札が発覚するなどの不祥事をきっかけに、様々なスキャンダルに見舞われ「ウォール街の帝王」としての信用を失うこととなりました。

その後、1987年にはウォーレン・バフェットに経営再建をゆだねることになりました。

1997年11月、バフェットの仲介でアメリカのトラベラーズ・グループ(Travelers Group)に買収され、トラベラーズ傘下の投資銀行であるスミス・バーニー(Smith Barney)と合併してソロモン・スミス・バーニー(Salomon Smith Barney)となりました。さらに、その翌年トラベラーズ・グループがシティコープと合併してシティグループとなり、その結果現在はシティ傘下のブランドとなっています。