資産運用 Lab.

10. 社員をもっと満足させるには

要約

二年目も後半にさしかかった1987年9月24日、前ぶれもなくそれは起こった。誰かが大声で「会社の一大事だぞ!」と叫んでいた。

ぼくはすぐに、ニュースの画面を確かめた。信じられないものを見たときに目をこするのが、いまだに人類共通のくせなのだとしたら、ぼくも多分そうしたのだろう。

速報が流れていた。ニューヨークのゴシップ・コラムニストを妻に持つ身長5フィート4インチの男、化粧品会社レヴロンを乗っ取ったばかりの悪名高い市場荒らし、ロナルド・ペレルマンが、ソロモン・ブラザーズの株を大量に買い付けているというのだ。

ドレクセル・バーナムが資金面を支え、ファースト・ボストンのジョーセフ・ペレラとブルース・ワッサースタインが顧問に付いている。ウォール街の会社が同業者を攻撃目標にしたのは、これが初めてだった。

 

突然、ぼくの電話機のボードが、ロッキー山中の雲ひとつない星空みたいに、ちかちかとまたたきだした。顧客からの電話だ。みんな一様に、わが社が極悪非道な暴漢に襲われ、手足をもがれようとしていることに対し、同情の念を表明してきた。

ただし、声には全く心がこもっていなかった。彼らは見物したいだけなのだ。事故現場に駆けつけて、ねじれた鉄板や震えている被害者を眺める野次馬のように・・・。

大柄な悪役ソロモン・ブラザーズが、ついにもっと大柄な悪役に首根っこをつかまれたのだと考え、その悪役がよりによって女性用化粧品のトップ・メーカーであることを面白がっている人間も、少なくなかっただろう。

 

なぜ口紅製造業者がソロモンに目を付けたのか?一番好奇心に訴える答えは、ペレルマン自身の考えではなかったというものだ。彼の公開買い付けは、ジャンク・ポンドの帝王であり、ペレルマンのパトロンでもあるマイケル・ミルケンが、ジョン・グッドフレンドに向かって投げつけた恨みの爆弾だと見ることもできる。

ミルケンはよく、自分を手ひどくあしらった人間に恨みの爆弾を投げつける。そして、グッドフレンドはミルケンを手ひどくあしらったことがある。1985年のはじめ、ミルケンはグッドフレンドと朝食を共にするためわが社を訪れた。朝食は、グッドフレンドが対等の口をきいてくれないことに対するミルケンの怒りの声で幕をあけ、壮絶な怒鳴り合いで幕を閉じて、ミルケンは守衛に付き添われてビルを出て行った。そのすぐあと、グッドフレンドはソロモンの債券取引からドレクセルを全面的に締め出した。

ほどなく、ドレクセルは証券取引委員会の大々的な捜査にさらされた。ソロモンのある取締役は、お祝いの花束を贈る代わりに、ドレクセルの顧客3人から出されたミルケンに対する告訴状のコピーを、ドレクセルの他の顧客に送り付けた。1987年9月の時点でのソロモン・ブラザーズとドレクセル・バーナムの関係は、ウォール街の二業者間の関係としては最悪の状態にあったといっていい。

 

アメリカの企業の信用度が下落すると、社債がみんなジャンクになってしまう。それに合わせてソロモンの顧客はドレクセルの方へ流れていった。しかし、それは顧客だけではなかった。社員までもがびっくりするような率で、ドレクセルに寝返ったのだ。ビヴァリー・ヒルズにあるミルケンのジャンク債トレーディング・フロアの従業員85人のうち、少なくとも12,3人がソロモン出身のトレーダーかセールスマンであり、ニューヨークのドレクセルに移った人間の数は、さらに多かった。

ドレクセルへの人材流出が続いたのも無理のない話だった。マイケル・ミルケンのもとで働いて、夢のような給料をもらったという報告が、ソロモンにもぽつぽつと漏れ伝わってきて、ぼくらはよだれを垂らしたものだ。

あるソロモン出身者はマイケル・ミルケンからもらった最初のボーナスのことを語る。期待していた額より、数百万ドル多く渡されたのだ。予想をめったに上回ることのないソロモンのボーナス査定になじんできた彼は、ジョン・グッドフレンドが全社員に支払う額よりも多い自分のボーナスに目をみはった。

唖然として、言葉も出ない。楽隠居するにも十分なほどのカネをくれた人間に、どうやって感謝の気持ちを表せばいいのか?ミルケンはそんな彼を見つめて「満足かね?」と聞いた。ソロモンの元従業員はうなずいた。

ミルケンは社員をカネびたしにした。あまりに豪勢な話なので、ソロモンに残ったぼくらも、ミルケンからの電話を心待ちにするようになった。カネはまた、ビヴァリー・ヒルズのトレーディング・フロアへの忠誠心をもはぐくむ。当時のミルケンは、まるで新興宗教の教祖様だった。

 

どんな魂にも値段はあるのだ。

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

10. 社員をもっと満足させるには

要約

二年目も後半にさしかかった1987年9月24日、前ぶれもなくそれは起こった。誰かが大声で「会社の一大事だぞ!」と叫んでいた。

ぼくはすぐに、ニュースの画面を確かめた。信じられないものを見たときに目をこするのが、いまだに人類共通のくせなのだとしたら、ぼくも多分そうしたのだろう。

速報が流れていた。ニューヨークのゴシップ・コラムニストを妻に持つ身長5フィート4インチの男、化粧品会社レヴロンを乗っ取ったばかりの悪名高い市場荒らし、ロナルド・ペレルマンが、ソロモン・ブラザーズの株を大量に買い付けているというのだ。

ドレクセル・バーナムが資金面を支え、ファースト・ボストンのジョーセフ・ペレラとブルース・ワッサースタインが顧問に付いている。ウォール街の会社が同業者を攻撃目標にしたのは、これが初めてだった。

 

突然、ぼくの電話機のボードが、ロッキー山中の雲ひとつない星空みたいに、ちかちかとまたたきだした。顧客からの電話だ。みんな一様に、わが社が極悪非道な暴漢に襲われ、手足をもがれようとしていることに対し、同情の念を表明してきた。

ただし、声には全く心がこもっていなかった。彼らは見物したいだけなのだ。事故現場に駆けつけて、ねじれた鉄板や震えている被害者を眺める野次馬のように・・・。

大柄な悪役ソロモン・ブラザーズが、ついにもっと大柄な悪役に首根っこをつかまれたのだと考え、その悪役がよりによって女性用化粧品のトップ・メーカーであることを面白がっている人間も、少なくなかっただろう。

 

なぜ口紅製造業者がソロモンに目を付けたのか?一番好奇心に訴える答えは、ペレルマン自身の考えではなかったというものだ。彼の公開買い付けは、ジャンク・ポンドの帝王であり、ペレルマンのパトロンでもあるマイケル・ミルケンが、ジョン・グッドフレンドに向かって投げつけた恨みの爆弾だと見ることもできる。

ミルケンはよく、自分を手ひどくあしらった人間に恨みの爆弾を投げつける。そして、グッドフレンドはミルケンを手ひどくあしらったことがある。1985年のはじめ、ミルケンはグッドフレンドと朝食を共にするためわが社を訪れた。朝食は、グッドフレンドが対等の口をきいてくれないことに対するミルケンの怒りの声で幕をあけ、壮絶な怒鳴り合いで幕を閉じて、ミルケンは守衛に付き添われてビルを出て行った。そのすぐあと、グッドフレンドはソロモンの債券取引からドレクセルを全面的に締め出した。

ほどなく、ドレクセルは証券取引委員会の大々的な捜査にさらされた。ソロモンのある取締役は、お祝いの花束を贈る代わりに、ドレクセルの顧客3人から出されたミルケンに対する告訴状のコピーを、ドレクセルの他の顧客に送り付けた。1987年9月の時点でのソロモン・ブラザーズとドレクセル・バーナムの関係は、ウォール街の二業者間の関係としては最悪の状態にあったといっていい。

 

アメリカの企業の信用度が下落すると、社債がみんなジャンクになってしまう。それに合わせてソロモンの顧客はドレクセルの方へ流れていった。しかし、それは顧客だけではなかった。社員までもがびっくりするような率で、ドレクセルに寝返ったのだ。ビヴァリー・ヒルズにあるミルケンのジャンク債トレーディング・フロアの従業員85人のうち、少なくとも12,3人がソロモン出身のトレーダーかセールスマンであり、ニューヨークのドレクセルに移った人間の数は、さらに多かった。

ドレクセルへの人材流出が続いたのも無理のない話だった。マイケル・ミルケンのもとで働いて、夢のような給料をもらったという報告が、ソロモンにもぽつぽつと漏れ伝わってきて、ぼくらはよだれを垂らしたものだ。

あるソロモン出身者はマイケル・ミルケンからもらった最初のボーナスのことを語る。期待していた額より、数百万ドル多く渡されたのだ。予想をめったに上回ることのないソロモンのボーナス査定になじんできた彼は、ジョン・グッドフレンドが全社員に支払う額よりも多い自分のボーナスに目をみはった。

唖然として、言葉も出ない。楽隠居するにも十分なほどのカネをくれた人間に、どうやって感謝の気持ちを表せばいいのか?ミルケンはそんな彼を見つめて「満足かね?」と聞いた。ソロモンの元従業員はうなずいた。

ミルケンは社員をカネびたしにした。あまりに豪勢な話なので、ソロモンに残ったぼくらも、ミルケンからの電話を心待ちにするようになった。カネはまた、ビヴァリー・ヒルズのトレーディング・フロアへの忠誠心をもはぐくむ。当時のミルケンは、まるで新興宗教の教祖様だった。

 

どんな魂にも値段はあるのだ。