資産運用 Lab.

7. ソロモン式ダイエット

要約

 

1986~1988年

債券市場と人材市場がそれぞれの均衡を求め、ソロモン・ブラザーズから人材の流出が相次いだ。年棒100万ドルといった高額のオファーが他社から飛び込むようになったのだ。

ジョン・グッドフレンドは会社に忠誠を誓うのが当たり前だと思っていた。どんなに取引で利益を出したとしても、例えそれが数千万ドルだったとしても、トレーダーに100万ドルを支払うなんてとんでもない、「足ることを知れ」と。事実、ソロモン・ブラザーズでは給与の上限は、1年目9万ドル、2年目17万5千ドルだった。

しかし、実力のあるトレーダーたちにとっては納得できるものではない。よそから声がかかり、退社していくトレーダーたちが出始めた。彼らを責める同僚のトレーダーは誰もいなかった。

次第にソロモン・ブラザーズは腕を磨くにはいい場所だったと微笑まじりに言い交わす男たちの輪がどんどん広がりつつあった。何十人という有能なモーゲージ・トレーダーを他社のモーゲージ部門に送り出すことで、ソロモン・ブラザーズはかえがたい貴重な宝を手放してしまったのだ。市場独占という宝を。

 

「収益のピークは、1985年だったな」

ゴールドマン・サックスの執務室でソロモン在職時のことを回顧してモーターラは言う。ラニエーリ一家の解体はあまりに急速で、あまりに徹底的だったので、原因をトレーダーたちの離反などというたった一つの要素に求めることはためらわれる。

それにいくつかの力が同時に働いて覇権を切り崩したことはかなりはっきりしている。ひとつは、市場そのものの力だ。ラニエーリ一家とほかの債券取引業者とのあいだのアンバランスを、市場が修正し始めた。

ソロモンにとってはありがたかったモーゲージ債の効率の悪さが、ソロモンの創案になるCMO(住宅抵当担保証書)によって解消されてきたのだ。

皮肉なのはそれがまさにラニエーリの望んだ通りの効果を発揮したことだった。つまり、ほかの債券にもっと近くなったのだ。しかし、モーゲージ債の体裁をほかの債券に近づけることは、結果的に、収益性までほかの債券並みにしてしまうことでしかなかった。

 

CMOを創るには、まず、ジニー・メイ、ファニー・メイ、フレディ・マックなどの通常のモーゲージ債を数億ドル分寄せ集める。次に、それを信託する。利息は、受託者から所有者に支払われる。所有者は、権利を記した証明書を持つ。その証明書がCMOだ。

ただし、どの証明書も同じ内容というわけではない。典型的な3億ドルのCMOを例にとってみよう。全体が3つのトランシュ(区切り)、つまり1億ドルずつの塊に分けられる。どのトランシュに投資しても利息は受け取れるが、第一トランシュの所有者は、信託されたモーゲージ債の中で早期に繰り上げ償還される分を優先的に引き受けなくてはならない。

第一トランシュの1億ドルが全部償還された後で、はじめて第二トランシュの所有者が繰り上げ償還を受けることになる。第三トランシュの証明書を持つ投資家は、第一、第二トランシュの分がすべて償還されるまで、貸した金が急に戻ってくる心配をしなくて済むわけだ。

 

あらゆる技術革新の例にもれず、CMOはその創案者であるソロモン・ブラザーズとファースト・ボストンに莫大な利益をもたらした。けれど、同時に債券トレーダーにとって大きなうまみだったモーゲージの需給のアンバランスも、CMOによって是正された。

買い手がつかないせいで債券が値を下げるという現象を、もうあてにできなくなった。

1986年にはCMOのおかげで買い手はたくさんいた。新しい買い手の群れが、利回りをぐっと押し下げた。はじめて、モーゲージ債が高い買い物になったのだ。

社債や財務省証券との比較において、CMOは適正な価格に落ち着いた。これで、普通のモーゲージ債も行き当たりばったりの価格で売買するわけにはいかなくなった。

小麦粉の値段がパンの値段と密接に結びついているように、モーゲージ債もCMOの市場とリンクしているからだ。CMO(加工品)の適正価格には、在来型のモーゲージ債(原材料)の適正価格が当然含まれている。

投資家たちはいまや、モーゲージ債のあるべき値段をしっかりつかんだ。彼らの無知に付け込めない分だけ、トレーダーの稼ぎは減った。

世界は変わったのだ。

 

1987年5月、ニューヨークで開かれた年次週末取締役会で、ジョン・グッドフレンドは112人の取締役たちに向かって言った。

「ひとりの人間の視野ではソロモン・ブラザーズを経営していくには不十分なので、わが社はこのたび、会長室を設けた。どんなチームの場合も同じだが、職務を分け合い、多様な意見や考えを取り入れながら、なおかつひとつの目標に向かって働くという難題に挑戦することになる。こういうチームが結成されたことを、わたしはとてもうれしく思っている。私以外の3人の室員には、会社経営にもっと時間が割けるよう、直接的な取引管理業務を徐々に減らしていってもらうつもりだ」

2か月後の7月16日、彼はラニエーリを解雇する。

 

 

補足情報

 

ジニー・メイ(米国政府抵当金庫)とは

HUD(住宅都市開発省)の監督下にある全額政府出資の機関です。同じHUDの管轄下にあるFHA(連邦住宅庁)等の公的保険・保証が付保された住宅ローンを担保として組成されたモーゲージ証券の保証業務を行っている政府機関です。

 

 

ファニー・メイ(連邦住宅抵当金庫)とは

半官半民のGSEの一つで、モーゲージ証券の買い取りとそれをもとにした発行・保証を行います。GSEとはGovernment Sponsored Enterprises(政府支援法人)を指し、形式的には民間企業ですが政府と同等の信用力が認められています。

 

 

フレディ・マック(連邦住宅貸付抵当公社)とは

ファニー・メイの役割を補完するため設立されました。ファニー・メイと同様GSEの一つで、モーゲージ証券の買い取りと発行・保証業務を行っています。

 

 

トリックスター>

世紀の空売り>

ライアーズ・ポーカー>


資産運用 Lab.

7. ソロモン式ダイエット

要約

 

1986~1988年

債券市場と人材市場がそれぞれの均衡を求め、ソロモン・ブラザーズから人材の流出が相次いだ。年棒100万ドルといった高額のオファーが他社から飛び込むようになったのだ。

ジョン・グッドフレンドは会社に忠誠を誓うのが当たり前だと思っていた。どんなに取引で利益を出したとしても、例えそれが数千万ドルだったとしても、トレーダーに100万ドルを支払うなんてとんでもない、「足ることを知れ」と。事実、ソロモン・ブラザーズでは給与の上限は、1年目9万ドル、2年目17万5千ドルだった。

しかし、実力のあるトレーダーたちにとっては納得できるものではない。よそから声がかかり、退社していくトレーダーたちが出始めた。彼らを責める同僚のトレーダーは誰もいなかった。

次第にソロモン・ブラザーズは腕を磨くにはいい場所だったと微笑まじりに言い交わす男たちの輪がどんどん広がりつつあった。何十人という有能なモーゲージ・トレーダーを他社のモーゲージ部門に送り出すことで、ソロモン・ブラザーズはかえがたい貴重な宝を手放してしまったのだ。市場独占という宝を。

 

「収益のピークは、1985年だったな」

ゴールドマン・サックスの執務室でソロモン在職時のことを回顧してモーターラは言う。ラニエーリ一家の解体はあまりに急速で、あまりに徹底的だったので、原因をトレーダーたちの離反などというたった一つの要素に求めることはためらわれる。

それにいくつかの力が同時に働いて覇権を切り崩したことはかなりはっきりしている。ひとつは、市場そのものの力だ。ラニエーリ一家とほかの債券取引業者とのあいだのアンバランスを、市場が修正し始めた。

ソロモンにとってはありがたかったモーゲージ債の効率の悪さが、ソロモンの創案になるCMO(住宅抵当担保証書)によって解消されてきたのだ。

皮肉なのはそれがまさにラニエーリの望んだ通りの効果を発揮したことだった。つまり、ほかの債券にもっと近くなったのだ。しかし、モーゲージ債の体裁をほかの債券に近づけることは、結果的に、収益性までほかの債券並みにしてしまうことでしかなかった。

 

CMOを創るには、まず、ジニー・メイ、ファニー・メイ、フレディ・マックなどの通常のモーゲージ債を数億ドル分寄せ集める。次に、それを信託する。利息は、受託者から所有者に支払われる。所有者は、権利を記した証明書を持つ。その証明書がCMOだ。

ただし、どの証明書も同じ内容というわけではない。典型的な3億ドルのCMOを例にとってみよう。全体が3つのトランシュ(区切り)、つまり1億ドルずつの塊に分けられる。どのトランシュに投資しても利息は受け取れるが、第一トランシュの所有者は、信託されたモーゲージ債の中で早期に繰り上げ償還される分を優先的に引き受けなくてはならない。

第一トランシュの1億ドルが全部償還された後で、はじめて第二トランシュの所有者が繰り上げ償還を受けることになる。第三トランシュの証明書を持つ投資家は、第一、第二トランシュの分がすべて償還されるまで、貸した金が急に戻ってくる心配をしなくて済むわけだ。

 

あらゆる技術革新の例にもれず、CMOはその創案者であるソロモン・ブラザーズとファースト・ボストンに莫大な利益をもたらした。けれど、同時に債券トレーダーにとって大きなうまみだったモーゲージの需給のアンバランスも、CMOによって是正された。

買い手がつかないせいで債券が値を下げるという現象を、もうあてにできなくなった。

1986年にはCMOのおかげで買い手はたくさんいた。新しい買い手の群れが、利回りをぐっと押し下げた。はじめて、モーゲージ債が高い買い物になったのだ。

社債や財務省証券との比較において、CMOは適正な価格に落ち着いた。これで、普通のモーゲージ債も行き当たりばったりの価格で売買するわけにはいかなくなった。

小麦粉の値段がパンの値段と密接に結びついているように、モーゲージ債もCMOの市場とリンクしているからだ。CMO(加工品)の適正価格には、在来型のモーゲージ債(原材料)の適正価格が当然含まれている。

投資家たちはいまや、モーゲージ債のあるべき値段をしっかりつかんだ。彼らの無知に付け込めない分だけ、トレーダーの稼ぎは減った。

世界は変わったのだ。

 

1987年5月、ニューヨークで開かれた年次週末取締役会で、ジョン・グッドフレンドは112人の取締役たちに向かって言った。

「ひとりの人間の視野ではソロモン・ブラザーズを経営していくには不十分なので、わが社はこのたび、会長室を設けた。どんなチームの場合も同じだが、職務を分け合い、多様な意見や考えを取り入れながら、なおかつひとつの目標に向かって働くという難題に挑戦することになる。こういうチームが結成されたことを、わたしはとてもうれしく思っている。私以外の3人の室員には、会社経営にもっと時間が割けるよう、直接的な取引管理業務を徐々に減らしていってもらうつもりだ」

2か月後の7月16日、彼はラニエーリを解雇する。

 

 

補足情報

 

ジニー・メイ(米国政府抵当金庫)とは

HUD(住宅都市開発省)の監督下にある全額政府出資の機関です。同じHUDの管轄下にあるFHA(連邦住宅庁)等の公的保険・保証が付保された住宅ローンを担保として組成されたモーゲージ証券の保証業務を行っている政府機関です。

 

 

ファニー・メイ(連邦住宅抵当金庫)とは

半官半民のGSEの一つで、モーゲージ証券の買い取りとそれをもとにした発行・保証を行います。GSEとはGovernment Sponsored Enterprises(政府支援法人)を指し、形式的には民間企業ですが政府と同等の信用力が認められています。

 

 

フレディ・マック(連邦住宅貸付抵当公社)とは

ファニー・メイの役割を補完するため設立されました。ファニー・メイと同様GSEの一つで、モーゲージ証券の買い取りと発行・保証業務を行っています。