資産運用 Lab.
9. 戦術
要約
1986年8月のこの日は特別な日だった。投資銀行員にはつきもののように思われている権謀術数に、はじめて遭遇することになるのだ。
ソロモン・ブラザーズの内部の抗争には、ふたつの種類がある。ひとつは、損が出たときに、たがいに責任をなすりつけ合おうとして生じうるもの。もうひとつは、カネが儲かったときに、手柄を奪い合って生じるものだ。
ぼくのトレーディング・フロアでの第一戦は、損失よりは利益をめぐっての戦いになるだろう。それはいいことだ。そして、ぼくはその戦いに勝つだろう。それもまたいいことだ。
その日、ロンドン時間の午前10時、アレキサンダーから電話がきた。アレキサンダーは超一流のセールスマンで、ぼくより2つ上のソロモン・ブラザーズに勤めて3年目だった。なぜだか分からないがぼくは彼に気に入られ、毎日のようにアドバイスをもらっていたのだ。
ぼくは彼に相談したかった話をした。ぼくの顧客の一人が、ドイツの債券相場は必ず上がると確信し、大金をかけたがっているのだ。これまでのところ、その顧客は数億マルクのドイツ国債を買っただけだ。
もっと思い切った賭けかたはないものだろうか。アレキサンダーとぼくは、ごちゃごちゃになったぼくの考えを整理し始めた。そして、その過程ですばらしいアイディアにぶち当たった。今までにない新しい証券を創るのだ。
問題の客は、リスクを大いに好んだ。リスクそれ自体も商品であることを、ぼくは学んだ。リスクを缶に詰め、トマトみたいに売ることも出来るのだ。投資家によって、リスクにつける値段はそれぞれちがうだろう。
うまくやれば、ある投資家からリスクを安く買い、別の投資家に高く売りつけて、こちらはまったくリスクなしで利ザヤを稼ぐこともできる。ぼくらがやったのは、まさにそういうことだった。
ふたりで細かい点を詰めているうちにトレーディング・フロアの人々が興味を示し始めた。ふだんは大企業相手のセールスを担当しているほかの部の副部長が、なんとなくあたりをうろつくようになった。彼は、ぼくらの新事業に1枚かむことが自分の使命だと心に決めたようだった。
投資銀行業務には、著作権法などないし、妙案を特許化する方法もない。創り出す栄誉は、すぐさま、稼ぎ出す栄誉の軍門に下る。ソロモン・ブラザーズが新型の債券または株式を創ったとすると、24時間以内に、モルガン・スタンレーやゴールドマン・サックス、その他の同業者が、新製品の動きを見届け、同じようなものをこしらえるだろう。それもゲームのうちだと、ぼくは理解している。入社前に会った投資銀行員たちのひとりが教えてくれた詩の一節を思い出す。
だてについてる目ではない
おおいに盗み見るがいい
他社とせり合う際には便利な標語だ。しかし、ぼくが学ぼうとしていたのは、それがソロモン社内でのせり合いにも、同じくらい便利な標語だということだった。